賭博黙示録カイジ 1-13

福本伸行賭博黙示録カイジ』1-13、1996-1999

この前の金曜日に実写映画「カイジ 人生逆転ゲーム」をテレビで流していたので、全部は見られなかったがちょっと見てしまった。それでもう読まないわけにはいかなくなって、レンタルコミック屋に走ることに・・・。むかし「黙示録」は読んでいたのだが、改めて読むととても新鮮。何度読んでも味わい深い。

読み返してみると、福本伸行の絵柄がとても重要だという気がする。もっとくせのない絵柄だったら、たくさんの人が買ったかもしれないが、この絵柄だったからこそ熱狂的なファンがついたのだ。だいたい全編ギャンブルのマンガ、それも生き死にのかかったようなえぐいギャンブルで絵がふつうにきれいだったら、どう考えても絵が内容に負けてしまう。この絵はそれ自体がジャンルみたいなものだ。

ストーリーについてはもはやいうことはないが、限定ジャンケン編を読むと、それだけでエネルギー半分吸い取られそうになる。それほどよく考えられている。いまのところ「黙示録」と次の「破戒録」しか読んでいないが、これを超える仕掛けはそう簡単には思いつかないだろう。

考えるのは、このマンガがいう「金は命より尊い」という言葉。もっと正確を期せば「命の値段は金次第」ということなのだろうが、この言葉の方がはるかにインパクトが強い。そこらじゅうでどうでもよさげな人の命が金のためにバンバン飛んでいるのだから、やはりこの言葉の正しさには簡単には抗えないと思う。そう思わない人は、それなりに生きていけるお金を持っている人だけ。

では自分の命はいくらか?

市場価値を無視して自分で勝手に値段をつけるとすれば、2億か3億なら売るだろうか。高額の生命保険をかけ、2年か3年の免責期間が過ぎた後で自殺すればそれだけのお金を残すことはできなくはない。しかし、他人の命はともかく、自分の命はなくなったら終わりだから仕方ないか。

他人の命、それも最も大事な他人の命なら持っているお金の全額は出すかもしれない(とても1億にすら遠く届かない)。しかし金を借りなければいけないとなったら・・・他人のために3000万円とか4000万円とかのお金を借りられるか?そのときになってみないとわからないが、けっこう難しいかもしれない。やっぱり命を張ってギャンブルできるのは、何も持たない者だけか。