ブラタモリ 丸の内

ブラタモリ 丸の内」、NHK、2010.10.14

先週の録画分をやっと見た。江戸開府当時の丸の内は当然海。というか干潟か。丸の内の由来は、ここが外堀の内側だったから。今日の案内人は、都市史家の岡本哲史。大名屋敷は、地割りだけ残っていて、一区画の地割りが大きかったので、高層ビルのような大きな建物を造りやすかったとのこと。

丸の内が海だった頃も、銀座は陸地になっていて「前島」と呼ばれていたそうだ。有楽町から日比谷公園のあたりにくると、そこは内堀。地形的にはその方向が「下がっている」らしい。さらに下がっているのが日比谷公園の中。この中にある池は氷河期にも川が流れていたという。この一帯では一番深いところ。

明治になってできた丸の内は、西洋建築が立ち並ぶことになり、それを再現したのが現在再建された三菱一号館。もとの銀行を改装してカフェにしてあるが、円柱柱頭のかざりも昔を再現して精巧なつくりになっている。

次にやってきたのが東京駅。ここは現在改装中で2012年春には大正時代のとおりに再現されるらしい。ここからは案内人が林章という人に代わり、鉄道の昔の説明をしてくれる。駅の一角にある煉瓦造りの部分をさわって、煉瓦が立派、そして目地の部分が盛り上がった施工(覆輪目地)はめったにできない特殊な技術が必要なのだという。

駅より有楽町よりのはとバス乗り場のあたりは、日本最初の高架鉄道の遺産なのだという。今でも新幹線が走っていて、震災や戦争でも壊れていないのだからよほどしっかりとつくられているということらしい。しかも地面の下にある部分はさらに重要で、軟弱な地盤で煉瓦づくりの高架の重みを支えるために、10メートルから17メートルの松材の杭を地面下の固い地盤まで打ち込んでいるのだという。これは鉄道高架だけでなく、この近辺の大建築物はすべてそういう工法で建てられていたとのこと。

この辺のガード下の飲み屋は雰囲気を出すためか、外にむき出しの壁に昔の映画のポスターが貼ってある。ポスターも昔のものそのままでけっこうな貴重品。「駅馬車」「緋牡丹博徒」など、いろいろ貼ってある。飲み屋だけでなく、新聞屋もあって、特定の一社の販売店ではなく、近所のオフィス街に新聞をまとめて配るための共同販売所になっている。

さらに奥に入ると、アーケードになっていて、めったに見ないような飲み屋が並んでいる。タモリ一行が入ると当然客は大喜び。タモリはビールをすすって満足そうにしている。このアーケード下の飲み屋はかなりいい感じなので、いずれ機会を見つけて行って見よう。