戒厳

北 博昭『戒厳 その歴史とシステム』、朝日新聞出版、2010

著者は、戦前期の軍の法律問題の専門家。この本は、戦前期の戒厳に関する法と実務をまめに調べている本。戦後日本における有事法制問題と戒厳の関係についてもわずかだが触れられている。

大ざっぱにまとめると、戒厳またはそれに準じる事態は3種類。戒厳令明治15年太政官布告)に基づいて戦時に発せられる「真正戒厳」。これは日清、日露戦争時にしか発せられていない。太平洋戦争では検討されていたが、結局見送られた。次は、平時に緊急勅令を根拠として戒厳令の規定を準用する「行政戒厳」。日比谷焼き討ち事件、関東大震災二・二六事件の3例があった。さらに厳密には戒厳ではないが、地方長官の要請や軍指揮官の判断で治安維持のために軍が出動する治安出兵。米騒動ほか数例があった。

読んでいて興味深いのは、戦前期、特に戒厳施行の条件を満たしていたと思われる太平洋戦争末期においても、戒厳施行に対しては軍内部および政府、枢密院などから相当の抵抗があり、簡単には戒厳施行はできなかったということ。戒厳は非常に緊急性の高い、特別の必要がある場合以外は発せられてはならないものだという考え方が、軍、政府にも強くあったようだ。天津租界に戒厳施行を請求した軍指揮官の要請が、戒厳令の規定を満たしていない(戒厳は、帝国憲法が効力を持つ日本統治下の領域でしか行えない)として却下されたことも、戒厳がデリケートな問題であることを軍中央が認識していたことを示すものだろう。

一方、太平洋戦争末期には、ほとんど戒厳の規定をカバーするような種々の非常事態法制ができていたが、戒厳の施行も実際に検討されており、「必要なかった」「敵に弱点を見せるとして忌避された」という説明は十分でないこともわかった。

戦後日本では、憲法に国家緊急権の規定がないこと、三矢事件などで自衛隊内部の戒厳に対する検討に非難が強まったことで、戒厳の問題が表立って取り上げられてこなかったものの、自衛隊は当然この問題に対して部内で検討していることが説明されている。関東大震災クラスの大災害や、深刻なテロで国家機能が麻痺するような事態においては、当然、戒厳に類する措置が必要になるはずだが、この問題は表面上、ないことにされているようだ。