知の収穫

呉智英『知の収穫』、双葉文庫、1997

図書館でたまたま見つけて、「あれ、こんな本が」といぶかしく思ったが借りてしまった。呉智英の本は単著になっているものは全部読んでいるはずなのに、こんな読み落としが、と思ったのだ。しかし家に帰ってから少し読んですぐわかった。単行本を文庫化しただけで、もう読んでいる本だったのだ。文庫化しても表紙の装丁は変わっていなかったので、その時点で気がついていなければいけなかったのだが。まあ、読んでみるとほとんど内容は忘れていたので、結局最後まで読み通した。

前半が書評、後半がマンガ評。時期は1987年から1992年まで。ちょうどソ連、東欧の社会主義体制がひっくり返っていたころのことで、選書の内容にもそういう事情は若干反映されている。

呉は広い分野の本を渉猟する人だが、ここでも自然科学系から、哲学、歴史、社会科学、小説、エッセイまで幅広く読んでいる。「テレビコスモス」連載企画だったということだが、この雑誌の読者はハイブロウな本の選択を楽しめたのだろうか。著者がまえがきで、書評コーナーはけっこう好評で5年間続いたと書いているので、反響はよかったのだろうが。

この時期は池澤夏樹とか高橋源一郎がデビューしたころで、受賞作が書評対象になっているのだが、評価はボロクソである。結構笑う。はっきりいって、高橋源一郎の小説がおもしろいと言う人の感覚はまったくわからない。一方中島らもの「啓蒙かまぼこ新聞」はちゃんとホメている。まともなセンスである。

それにしても新聞の書評欄もまあたいへんといえばたいへんだが、こちらは本を探すところから全部一人でやっているのである。月一回2冊ずつとはいえ、けっこうな労力のはず。つまらない本は貶せばいいとはいえ、毎回つまらない本ばかり取り上げたのでは書評にならないから、あたりが出るまで読み続けることになる。評論家は大変だ。

それから後半のマンガ評。こちらは、マンガとはいえ週1回のペース。それでこれだけおもしろいものを選べるのだから(こちらは、貶している評はあまりなく、ほとんどよいものだけを選んでいる)、呉の腕力の賜物だろう。大家やベストセラーになっているマンガだけでなく、マイナーなもの、レディコミやエロもていねいに拾っている。自分がそれほどマンガを読まないこともあるが、もはやまったく名前の消えてしまったマンガ家も多数入っている。昔の書評は後で味わうのも楽しいし、内容が簡単に腐らないのがよい。単行本はもっているので、取り上げてられている本を何冊か借りてくることにする。