偽善入門

小池龍之介『偽善入門 浮世をサバイバルする善悪マニュアル』、サンガ、2008

著者の前著『「自分」から自由になる沈黙入門』は、いまひとつ自分に合わないように感じたのだが、それでも気になる本だったので、次にこれを借りてきて読むことにした。こちらのほうは自分の心にかなりヒットしたように思う。

著者の言う「偽善」とは、「100%善とはいえなくても、善の要素が含まれている考え、行い」のこと。偽善であることは少なくとも悪であることよりは善く、偽善を上手に身につけながら、その中で善の要素を少しでも増やしていくように生活することが大切だという主張。

では、「善」「悪」とは何か。著者のいう「善」は、決められた徳目を為せというよりは、煩悩を去れ、というむしろ消極的な態度。その煩悩とは、1.何かを引っ張ろうとしてもがく欲望の引力。2.何かに対してイヤイヤをして押しやろうとする怒りの反発力。3.ものの道理をわきまえずに脳内ストーリーへと逃避して、クルクルとさ迷い出してしまう愚かさの回転力。の三つ。従って著者の言う善とは、他人に対して徳目を強要すること(それは著者によれば、「悪」そのもの)ではなく、自分の中から悪(煩悩)を去るための行い、ということになる。

だから「善」「悪」とは超越的に定義されるものではなく、自分を否定的な方向に押しやっていくこと、そのことをわかっていて何もせず流されてしまうこと、あるいは積極的にそれに耽溺しまうことが悪、自分の考えと行動を律して、悪に陥らないように自分を作りあげていくことが善、ということになる。一般に考えられている、「悪によって自分が利益を受ける」「お人好しで他人に騙されてしまう善人」といった考え方が間違っていることも説明される。このあたりは、自分には思い当たることばかりで、かなり心にグサグサ刺さる。また、人間なのだから悪に手を染めるのも人間性の一部であってあたりまえ、というような考え方は、単なる開き直りであって、自らに何も善いことをもたらさないとして一蹴される。いわれてみれば、そのとおりだと思う。

著者が強調することは、「善」は思うだけでは何もならないので、実際に自分の生活の中で実践していかなければならないということ。これが難しいのだが、著者が「偽善」という考えを持ち出したのは、人間が善に向かうための障害を少しでも下げることにあるということがわかってくる。

著者の考えを実践できるかどうかは別として、これは再読すべき本だと思った。よって、買ってくることに決定。