銀河英雄伝説

田中芳樹銀河英雄伝説』1~10、徳間ノベルズ、1982-1987

非常に「いまさら」感いっぱいなのだが、この小説、通読したのははじめてなのだ(これまでは飛び飛びでアニメ版を見ていただけ)。図書館に徳間ノベルズ版が全巻揃っていたので、ひとつずつ借りて読んでいた。リアルタイムで本の刊行を待っていた人たちはさぞ、待ち遠しかったことだろう。ちまちまと読みながら(あんまり没入してもこまるので)2ヶ月くらいで読んだのだが、達成感と細かい不満がいろいろと残る複雑な心境。

まず不満なところからあげると、SF設定のいろんな箇所に違和感が・・・。まあハードSFじゃないんだし、そんなところにあんまり文句を付けても意味がないから、それはいいことにしましょう。キャラクターとしてはユリアン。多少頭いいからといって、ヤンの養子で、資質を評価されてるという理由で後継者?選挙で選ばれたわけでもないのに?「民主共和制」じゃなかったの?まあそんなことより、わたしは単純にユリアンがキライなのである。ガキのくせに小賢しい感じのところがイヤ。ヤンにもちょっとクサイなあと感じるところはあるのだが、ヤンは人柄が人柄なので許せる。しかしユリアンはやっぱりイヤ。アニメ版を見ているとイヤ感がますます上昇してくるのである。これが帝国側のキャラクターだと、多少台詞がクサくてもぜんぜんイヤミに感じられないのである。なぜでしょう。やっぱり帝国好きだからなのかも。昔の連載当時も(わたしは読んでいなかったにもかかわらず)、「卿は・・・」とか言って遊んでたからね。

いま読んで一番気に入らないのは、「民主共和制」の意義についてのヤンの長広舌。まあ著者の思い入れはわかりますが、政治哲学を専門に勉強したわけでもない人が、民主制の美点について長々と演説をぶっても、あんまりわたしの心には響かない。議論も煮詰められているとは思えない。SF設定の部分とは違って、ここはお話の核心に近い部分なので(ヤンがバーミリオン会戦で政府の命令に従って停戦することも含め)どうしても納得がいかない。

ではなんで10巻通読できてしまうかといえば、帝国側があまりにかっこよすぎるからなのである。ヤンの民主制擁護は聞き苦しいと思うだけなのに、帝国側がラインハルトとそのわずかな臣下の有能さのみでうまく回っている(そんなことあるわけないだろ!)ことの不自然さに全く違和感を感じないのは、わたしが「英雄が大帝国を一代で建てるおはなし」が好きだから。ラインハルト様よりオーベルシュタインとロイエンタールのキャラが立っているところもたまらない。帝国はなにもかもかっこいい。並行してファミリー劇場で放送されているアニメ版を見ているのだが、やっと半分と少し(わたしは月火水のレギュラー放送を見ているので、今日58話まできた)なのだが、本を一読してからアニメを見るとおもしろさもひとしお。外伝4巻も図書館にあるし、これをちまちま読むのがこれからの楽しみ。