世に棲む日日

司馬遼太郎『世に棲む日日』、文藝春秋、1973

吉田松陰高杉晋作のおはなし。前半が吉田松陰、後半が高杉晋作吉田松陰という人は、いまにいたるまでこの人の何がエライのかよくわからないのだが、この本を読んだ後も実はよくわかってない。著者は「狂」といっていて、もちろんこの「狂」は儒教的意味を踏まえているので「ひたすら過激に道を求める人」というようなことになる。しかし読んでいると、端から見ればほとんど本物のキチガイ紙一重な人である。過激思想に傾倒している人というのはそんなものか。

ただのキチガイでないところは、吉田松陰の「人を感化する力」だろうか。他藩の友人、塾生だけでなく獄にともに入れられているならず者やらやたら性格の狷介な者まで、コロコロ松陰に参っていく。こういうことは口舌の徒にはできないところだし、思想うんぬんでこういう風に人を感化することはできないから、直接松陰に接した人だけがわかる強い魅力があったのだろう。その部分は小説からは間接的にしか感じ取れない。

一方、この松陰党というか松下村塾閥のほうはわかりやすい。革命党である。高杉晋作は攘夷を手段として使いながら倒幕革命、長州割拠論に持っていこうとする革命家。こっちは実際の行動で社会を動かしていく人だが、行動も変幻自在、人格的にもおもしろい。伊藤俊輔井上聞多、山県狂介らの脇役たちのキャラクターもそれぞれ立っている。高杉の死で話を終わらせるところも凝縮感があって鮮やか。個人的には「花神」のほうが好きだが、長州史としてはこちらが外せない。