八月の砲声

バーバラ・W・タックマン(山室まりや訳)『八月の砲声』上、下、ちくま学芸文庫、2004

タックマンの古典的名著。上巻は第一次大戦前夜の各国の状況からイギリス参戦まで、下巻はタンネンベルク会戦からマルヌ会戦まで。

上巻冒頭の英国王の葬儀で、列強諸国の関係図をビジュアル的に描くところから、下巻結末のマルヌ会戦の分析(マルヌ会戦の経過自体は「既知」だろうということで飛ばされている・・・)まで、分析と出来事の描写が緻密に構成されているところが、名著のゆえんだろう。大著だがムダな部分はない。

主要国の戦争計画が、危機にあたって機械として動き出し、誰もそれを止められなくなっていく過程の描写は有名なところだが、やはり見事。そして後半、始まった時には正確に動いていたはずの機械が少しずつ狂っていき、マルヌ会戦でのドイツ軍の進撃の挫折で、長期戦が決定的になる部分は、古典悲劇のような余韻を漂わせる。誤算や失敗の原因は、直接には通信手段の不備や情報管理のシステムの問題にあるが、より広く考えれば、巨大なシステムを個人や少数の人間からなる指導部で管理しようとすること自体に無理があるのだという考えに行き着かざるをえない。技術が進歩した現代でも、戦争と外交がうまく管理できるものではないことは同じである。

この本、名作なのだが日本であまり読まれていないのは、そのボリュームに加えて、欧米諸国できちんとした歴史教育を受けていれば知っていることになっている人名地名がわからないので、特に戦争が始まった後の記述が読みづらいことがあると思う。確かにいくつか戦況図がついているのだが、誰のどの部隊がどこにいて、どっちに進んでいるかを、本の記述に沿って細かく図で把握していくのは骨が折れる。翻訳時に時系列で綴じ込みで戦況図をつけていてくれると、もうちょっとわかりやすかった、というのは調子いいことを言い過ぎか。第一次大戦史をひととおり読んでから、手をつけたほうがいいと思う。