平成20年度大学入試センター試験 国語

平成20年度大学入試センター試験 国語

の問題を読んだのだが、読んでいるそばから頭痛がしてきた。例年通り、第1問(論説文)、第2問(小説)、第3問(古文)、第4問(漢文)となっているのだが、頭が痛くなるのは第1問。栗原彬「かんけりの政治学」が題材。

いくつかの鬼ごっこ(著者によると「隠れん坊」)のバリエーションをとりあげて、その意味を考察するという文章。ちなみに「陣オニ」(決められた「陣地」にタッチすれば鬼に捕まらなくなるというルールの鬼ごっこ)についての著者の文章がコレ。

「「陣オニ」について、さきほどの少年は「自分だけ助かればよい」ゲームだという。「陣オニ」の本質をいいつくした説明であろう。「陣」になる木や石は、元来呪的な意味をもち、集団を成り立たせる中心であった。だが今日子どもたちのおこなう「陣オニ」では、「陣」は社会秩序そのものであり、「陣」に触れることは、自分を守ってくれる秩序へのコミットメントを競争場裡で獲得すること、選良の資格を手にすることである。社会秩序の中心と私的エゴイズムとを結びつけるための単独行的な冒険ということが、「陣オニ」の演習の本義なのだ。」

栗原先生、それは単なるあなたの「考えすぎ」です。この調子で、「複数オニ」は秘密警察に追われる逃亡者とその裏切り者のゲームだとか、こういう鬼ごっこが人生ゲームにつながり、それらは管理社会、私生活主義、競争民主主義のコスモロジーをもっている点で共通しているとか、「はぁ?」と言いたくなるような「電波」なご意見が続く。ちなみに「かんけり」はつかまった仲間を助けるゲームだから、これらとは対極的なゲームで、子どもはかんを蹴ることで、管理社会のコスモロジーに蹴りを入れているそうだ。

アホか(笑

子どもの単なるゲームをダシにして、管理社会批判をこじつけているだけである。栗原彬はしばしばこの種の電波な文章を書くが、自分の文章を読み返して恥ずかしくならないのだろうか。さらにこの文章が入試センター試験の「国語」に取り上げられるというのは、どう考えても出題委員の頭が狂っているとしか思えない。ちなみに試験問題は、この文章を題材にして、著者の思考の筋道を問うというもの。頭が狂っている人間の考えをトレースしろといわれても、受験者はいい迷惑である。

ちなみにこの文章には藤田省三「或る喪失の経験─隠れん坊の精神史─」(『精神史的考察』所収)が引用されているが、こちらの文章もかなり狂っている。類は友を呼ぶということだろうか。こんなもので大学入学のための能力を測ろうなんて、そのうち日本は滅びますよ。ほんとに。