運慶流

「運慶流 鎌倉・南北朝の仏像と蒙古襲来」、山口県立美術館

普通運慶の門流は「慶派」と呼ぶのに、あえて「運慶流」という言葉を使う理由は、「慶派」という言葉だとあまりに広い範囲の人々が入ってきてしまうので、運慶とその直系の門流にしぼって焦点をあてるには、この言葉のほうが都合がよいということらしい。

運慶作の像は一点、栃木・光得寺大日如来像があるだけだが、一見すると東大寺南大門金剛力士像とはかなり違った印象を受ける。まあ天と如来では違って当然ということもあるが、もともと運慶の作風には、力強さと端正さという異なる要素が混じり合っていて、後の運慶流の仏像にはそれぞれの要素が受け継がれているのだと説明されている。

実際、運慶流といっても、鎌倉時代初期から南北朝に至る100年以上の期間に作られた像の作風はまるっきりバラバラであり、素人にはこれらのどこに共通点があるのかよく理解できない。承久の乱、蒙古襲来、鎌倉幕府滅亡と南北朝時代の開始といった歴史的事件に、像の作風は強く影響されていて、それぞれの時代の像はそのことの反映だと説明される。

そもそも運慶の名がここまで高くなったのは、後代に慶派やその他の仏師たちが、運慶をあがめてその門流である自分たちの価値を高めるために利用したからだという。実際、運慶作の仏像の多くは焼失し、残っているのは運慶自身の作であるかがどうかが疑問になっている像も含めて三十体に満たない。そういう意味では雪舟に近いところがあるということだ。まあ雪舟も運慶も作品はやっぱりすごいと思うが、巨匠とよばれるようになる過程にはいろいろあるわけですね。

個人的には、展覧会の冒頭におかれていた運慶流と推定される無名氏作の金剛力士像の大迫力にとてもひかれる。他の仏様も作風はさまざまだが、どれもいいお顔をされている。ひさびさに仏像に囲まれてかなり気分よく帰ってこられた。