落日燃ゆ

『落日燃ゆ』城山三郎角川書店、2005

太平洋戦争の主要な関係者に関して書かれた評伝、小説のたぐいを少しずつ読んでいくつもりで、それならとりあえずベストセラーになった本から、と思って取り上げたのがこの本。まあ城山三郎は定評があるし。

少年時代のことは簡潔にすまされ、一高から東大も短く、外交官になってからのこと、それから戦犯になった後のことに主にページがさかれている。文章は簡潔で力強く、さっと読める。ふつうの小説ならおもしろく読みやすい、ということでそこそこよい評価でいいことにするのだが。

肝心なところで、この本の内容に納得がいかないので、ほとんど評価はできない。著者は広田弘毅が戦争に反対して誠心誠意努力したのに、無実の罪で刑死したというストーリーをつくっているのだが、特に広田の「自ら計らわぬ」生き方というものを賞賛している。しかし、総理大臣、外務大臣をつとめ、政策決定の中枢にいた人物の行動として考えるとそれでは職務に対して失格である。現にこの本でも、大臣時代の事績にはあまりふれていない。結局リーダーシップをとれないまま軍の行動に流された人という印象しか伝わってこない。

さらに東京裁判のところでは、広田にかかった容疑がどのようなもので、それを晴らすために広田(またはその弁護人)がどういう行動をとったかが、まず書かれていなければいけないはずだが、それがあいまいにしか書かれていない。著者の筆は、広田の態度がいかに潔いものだったか、東條を除く軍人たちの見苦しい態度とまったく違っていたか、に向かうばかり。そもそも政治家なのだから、「黙って刑に服することが責任をとったことになる」という考え方はおかしいだろう。この本を読むと、賞賛されているのは広田弘毅の生き方ではなく、「言い訳せずに死んだ」態度になってしまっている。

広田弘毅の政策的な事績については「戦争反対、列強との協調」以外のことが書いていないが、これも非常におかしい。著者は広田弘毅個人やそれに関連する本はちゃんと読んでいるのだから、支那事変に対する広田の基本的な姿勢について知らないはずがないだろう。小説とはいえ、こういう態度は公正ではない。

この本がベストセラーになった事実そのものが、「日本に対する批判には納得できないが、だからといってそのことをはっきり主張するわけでもない」という、多くの日本人のあいまいな態度を映す鏡のようなものになっていると感じる。主張があるなら、声に出して言わなければ意味がないと思うが。