俄 浪華遊侠伝

『俄 浪華遊侠伝』司馬遼太郎講談社文庫、1972

幕末から明治にかけて生きていた侠客明石家万吉こと小林佐兵衛の話。とにかく破天荒な人物で、自分の命を粗末にすることだけで、摂河泉に君臨する大親分になったという人。これも昔短編で読んだと思ったら、「侠客万助珍談」を長編にした作品である。

幕末の出来事の節目節目が万吉の人生にからんでいて、禁門の変や鳥羽伏見の戦のような事件が万吉の視点で描かれている。しかしおもしろいのは万吉という人物その人で、とにかく頼まれたことを断らない、自分の体や命を投げ出す、欲得で動かない、というような絵に描いたような任侠道の権化として描かれている。もっとも司馬遼太郎は、万吉をやくざ者の典型として描いたのではなく、やくざ者の典型から外れた人物として描いたようだ。まあ確かにこんなことをやっていたら、命はいくつあっても足りないし、財産も入った以上に湯水のように使うので(しかも自分のためにではなく)、まともに計算すればこういう人生はできないだろう。町奉行所から手が回って、新選組に命を狙われる場面では、これでどうして死なないのか、不思議になってくる。まあそれは小説だからだが、読んでいると万吉のキャラクターならさもあろうと納得させられてしまうのは著者の筆力。

巻末の解説は足立巻一が書いていて、これは単に感想だけの手抜き解説ではなく、ちゃんと調べて書かれている(といってもきちんと史実どおりにというわけではないのだが)。司馬遼太郎はやくざ者を主人公にした小説はあまり書いていないのだという。以前『項羽と劉邦』を読んだときの印象がのこっていて、やくざ話も書いているのかと思っていたら、そうではないらしい。司馬遼太郎からすれば、講談に出てくるようなやくざ者はあまり関心をそそらなかったのだろう。

この話はやくざ者の話という以上に、大坂、大阪という土地柄を描くことにエネルギーを使っていて、関西弁や船場の米市場、大阪町奉行と町政のやり方のような細部の書き込みに力が入っている。主人公の性格もそうだが、生まれた土地のことをきちんと書いておきたいという気持ちが書かせた小説で、それがこのお話の価値にもなっていると思う。