豊臣家の人々

『豊臣家の人々』司馬遼太郎、角川文庫、1971

秀吉以外の豊臣家の関係者、秀次、小早川秀秋宇喜多秀家北政所、秀長、朝日姫、結城秀康、八条宮、淀殿・秀頼についての連作短編集。「新史太閤記」と「城塞」の間をつなぐ時期の人々を扱っていることになる。この顔ぶれからすれば当然のことながら、あまりいい書かれ方をしている人は少ない。北政所、秀長は例外で、宇喜多秀家結城秀康がふつう(といえば聞こえはよいが、じつは凡庸)、朝日姫と八条宮は何もしておらず、秀次、小早川秀秋淀殿・秀頼(わざと、「淀殿・その子」という表題にされている)は、けちょんけちょんである。まあそのくらいのことを書かれても仕方がない人々ではある。

豊臣家関係者ばかりで、厳密な意味での家臣が入っていないとはいえ、豊臣家の人材不足は悲惨。「覇王の家」での徳川家の多士済々の登場人物とは大違いである。一代で卑賤の身から成り上がった人物ゆえの悲劇とはいえ、読んでいて寂寥感が漂うような悲惨さ。また、逆に司馬遼太郎の豊臣家に寄せる、同情と突き放した冷たさの入り交じった複雑な感情もうかがえる。もともと自分は豊臣氏にあまり同情心はもっていないのだが、司馬遼太郎の本をいくつか読んでいてだんだん考えが変わってきた。とはいえ、境遇はともかく人格はあまり同情に値しない人々なのだが。

小説としては、人物の選択や配列にきちんとしたくふうがあり、また全編に独特のリズムがあって、とても読みやすい。良作である。