昭和の名将と愚将

『昭和の名将と愚将』半藤一利保阪正康、文春新書、2008

「名将」編は雑誌連載されたものだが、「愚将」編は語り下し。さすがに「名将」を語っただけでは、太平洋戦争について語ったことにはならないということになったのだろう。
しかし、実は「名将」編にあげられている軍人も、よく読んでみるとあまり名将の名に値しない人が多いのだ。「名将」と言われるからには、指揮が優れていて多くの戦闘に勝利を収めたか、大敗北に終わるはずの戦闘を小さな敗北で抑えたとか、そうした「実績」が求められるはずである。ところがこの本で取り上げられている人物でそうした観点で評価されているのは、硫黄島栗林忠道インパール宮崎繁三郎くらいで、他の多くは「戦死者を少なく抑えた」(それはそれで評価のポイントにはなるだろうが)、身の処し方が潔癖、行政で有能といったもの。ちょっと名将とまではいえないような人が多く取り上げられている。まあ名将とされてきた軍人の評価を見直すことも著者らの目的の一つなのかもしれない。
それに対して「愚将」の方に対する評価は容赦がない。「自分のしたことに対しての責任回避」(戦後生き残った者は特に)について厳しく指弾されている。また実際読んでみると、これらの人々、特に辻政信、服部卓四郎、牟田口廉也瀬島龍三の態度はひどいものだとわかる。戦犯裁判を逃れようとしたというようなことだけではなく、自分の失敗を隠して歴史的評価を捏造することに汲々としていたのである。彼らの責任回避が生き残った人々(特に高級軍人)によってきちんと批判されてこなかったことも大問題。昭和の軍部がいかに人を得なかったかについて暗然とさせられる本。