歩兵の本領

『歩兵の本領』浅田次郎講談社、2001

陸上自衛隊第32普通科連隊がかつて市ヶ谷にあったころのお話。だいたい1970年代はじめあたりか。三島由紀夫の自決に言及されていて、高度成長が続き、学生運動が激しく、自衛隊が外ではちぢこまっていた時代。著者が自衛隊にいたのがちょうどその頃になる。登場するのは、ほとんど陸曹、陸士ばかりで幹部以上のエライ人はほとんど背景としてしか出てこない。予科練あがりの准尉とか、自衛官用の高利貸で借りた金が返せなくなってあわてる陸士、キャバレーの女に入れあげたあげく、同じ班の陸士長に女を取られる陸士、外の世界で下のほうにいる男たちがたまたま勧誘にひっかかって自衛隊に入ってきて、やるようなことがだいたい書かれている。
戦前は「軍隊小説」というジャンルがあったが、戦後の小説で自衛官の隊内生活を題材にしたものはほんとうに少ない。兵営内の生活が戦前のように一般的なものでなくなったのだから当然かもしれないが、戦前のそれと体育会、運動部の生活がミックスされたような生活がこういう形で続いているということが部外の者にはちょっと新鮮。「兵隊やくざ」シリーズの中で田村高廣が「軍隊では星の数よりメンコの数」と何度も言っていて、メンコというのが軍歴の長さを指すことは文脈でわかったが、どういう語源から来ているのかはこの本を読んで初めてわかった。命令の秩序と生活の秩序は違ったところにあって並存しているおもしろい世界だ。
浅田次郎の小説ははじめて読んだが、話のつくり方がほんとうに上手な人だ。人物の造形がうまいし、ストーリーの流れ方も職人芸を感じる。最後の一編、表題作の「歩兵の本領」(この作品だけ、一人称で書かれている)は、主人公が自衛隊を任期を終えて辞めていく話なのだがあまりの上手さにちょっと泣ける。