健全なる精神

呉智英『健全なる精神』、双葉社、2007

呉智英の評論集。まああいかわらずの呉節なので、おもしろい。ところどころ外してるなと思うところもあるが。吉本隆明を「老醜をさらしている」と断じているところは、そのとおりだと思う。昔の文章や業績はともかく、吉本隆明の最近の文章はおかしなものだらけで、誰もその点をちゃんと指摘していないのはまったく不思議だ。
ひとつ難点をいえば、「保守」「革新」という用語はもう使うのはやめるべきだ。著者自身がほかのところで、ソ連崩壊にからめてこの言葉を使うことの困難さについて指摘していたので(本書中でも、「反革命」というべきだといっている)、問題があることはわかっていると思うし、それに代わる言葉を見つけることが難しいのだろう。しかし、冷戦が終わって十数年たつのに、こういう古い用語法を使うのは混乱のもとである。
とりあえずおもしろかったことが二つ。ひとつは、女性が腋毛を剃る習慣は戦後になってからアメリカから伝わったもので、ヨーロッパでは現在もそういう習慣はない国が多いという文章。もう一つは2005年12月に各紙で報じられたニセ医者事件に関連して、昔のニセ医者は多くの場合、軍の衛生兵あがりだったから多少の治療のようなことはできたのだという話。
で、ちょっとこの事件に興味があったので調べてみた。どういう経歴の人がニセ医者をやれたのかということと、どうしてばれたのかということ。どうもこのニセ医者事件の犯人は、定時制高校中退で、97年5月から都立広尾病院で「見学生」として研修を受けたことから、この業界にもぐりこめたらしいこと。その程度の経験で周囲の医療関係者から疑われない程度の診療はできたのか?カルテはどうやって書いていたのか?ふしぎでしょうがない。どうしてばれたのかは結局わからなかったが、2007年から新しいシステムが立ち上がる前は、医師としての資格を厳密に確認する作業はけっこう手間がかかり、やろうと思えばもぐりこみは可能な状態だったそうだ。システムの穴はいろんなところにあったのだということにちょっと感心した。