多文明世界の構図

高谷好一『多文明世界の構図』、中公新書、1997

簡単に言うと大風呂敷をひろげた本。実際は肝心なところが破れていて、結論はダメだと思う。しかしおもしろい。

著者によると、生態系をもとにする社会文化環境が複合した圏域があって、それを「世界単位」と呼んでいる。著者はこの世界単位を軸にして、これまでの人類史を説明しているのだが、この部分はとてもおもしろい。世界単位の中では人間が世界観を共有していて、それがいろんな交流をやりながら並存的に生き延びてきたのが、これまでの歴史だという。「各国史」の寄せ集めのようになっている「世界史」より、はるかにおもしろく、また説得力のある見方だと思う。現在の国家も、この世界単位の上に部分的にのっかっているにすぎないものであり、国家が基軸になって人間があるような見方をするとおかしくなるという著者の考え方には賛同できる。アンダーソン批判の部分もおもしろい。

しかしここから先がいけない。著者は近代資本主義システムが暴力をもとにした収奪のシステムだといい、そんなものはいずれ破綻するから著者のいう世界単位を基にしたシステムに切り替えていかなければいけないという。まず著者は近代資本主義システムがなぜ世界中に拡大しているかという問題についてまじめに考えていない。近代資本主義システムはその持ち込まれ方は暴力的であっても、世界の多くの地域で自発的に受容されたから成り立っている。熱帯雨林を切り払っているのは外国資本だけではなくて、その土地の住民が儲かるからやっているということがわかってない。それから、近代資本主義システムを取り払って、その後に「世界単位が並存」するシステムを据える具体的なプロセスについて何も考えていない。ポスト近代社会はねじを巻き戻すような具合に進むわけがない。おもしろいのに惜しい、惜しいけど捨てるにはおもしろすぎる、というような本。