チェーホフ試論

神西清チェーホフ試論 -チェーホフ序説の一部として-』


神西清チェーホフ評論。これはよくできている。

チェーホフ作品のほとんどを訳しているのだから、よくわかっていて当然といえば当然だが、チェーホフの人と作品を両方よく理解しているから書けるもの。

チェーホフは、何についても、没入できず、そういう自分を客観視できる人。そういう人はだいたい病みやすい。40歳を過ぎてから、女優のオリガ・クニッペルと結婚したのもただの愛情ではないという。オリガはすでに女優としては盛りを過ぎている年で、チェーホフにとっては恋というよりは話し相手が欲しかったからだという。

シベリア旅行とその記録も、チェーホフに熱情はあったが、それがずっと持続するものではないということの証拠。しかもロシアの作家にはめずらしく、正教の影響をあまり受けていない人。トルストイ批判もその結果。

一番おもしろいのは、チェーホフがなぜ自分の作品を「喜劇」と呼んでいるのかということ。普通に考えれば、四大戯曲はすべて悲劇。しかしチェーホフにとっては、悲しんでいる登場人物こそ笑いの対象。「桜の園」のロパーヒンは、普通に考えれば下品で粗野な男。しかし、そういう人間が新しい時代を作るので、ラネーフスカヤも何代か前はロパーヒンみたいなものだったかもしれない。人が悲しんでいるものをこそ笑うべきという立場。