京都ぎらい 官能編

井上章一『京都ぎらい 官能編』朝日新書、2017


前作も笑ったが、これにも爆笑した。このくらい、京都への嫌味が鮮やかに決まった本はほかにない。

これは、現在生きている京都人への嫌味というよりは、京都の現在の地位がどのようにできていったかを説明している本。江戸時代には、もはや京都の地位は失われていったので、基本的にはその前まで。平安時代から鎌倉時代あたりまでのおはなし。

簡単にいえば、京の雅というのは、文化やら高尚なシュミやらというものとは関係なく、京都の美人が作ったものだという。京都になんで美人がいるかといえば、王朝が自分で楽しみ、臣下に下げ渡すために、国中から美人を集めたから。別に美人は京都産である必要はなく、田舎の美人にきれいな服を着せて、京女ですよ、といえば、それでいいのである。

下げ渡された美人は、権力者からのごほうびとして有効活用されていた。「とはずがたり」の二条がそうだし、古くは額田王もそう。源義朝の妻だった常盤御前もそう。みんな院や天皇から、臣下に渡されたごほうび。臣下も、土地よりも京美人の方がいいということもあったのだ。美人の方でも、出世の手段として、自分を有効活用していたし、美人の実家もうるおったので、みんなウィンウィンだったというおはなし。

京都文化だのなんだの、要は性欲の産物だということで、これくらい手厳しい嫌味は他にはないだろう。井上章一は、前著で「ほんとは好きなくせに」と言われたのがよほど腹に据えかねたのか、本当に容赦なくやっている。古典文学に対する別の読みもできて、こんなおもしろい本はないというもの。