京都のおねだん

大野裕之『京都のおねだん』集英社新書、2017


著者は、1974年生まれ。『チャップリンヒトラー』の著者。この本は、著者が見た、「京都にあるいろいろなものの値付け」の話。

著者は、大学まで茨木で、大学からはずっと京都にいるということなので、もう20年以上は京都にいる人。だから、京都にあるよくわからないものの値付けについて本を書いていても何の不思議もないのだが、この本は、あまりにもいやらしすぎる。

どこがというと、この本全体が、京都と京都っぽいイメージに対するおべっかになっているということ。特に第三章の「補足」になっている、「京都の範囲について」。これについては井上章一『京都ぎらい』がすでに述べているので、この本でも当然言及している。しかし、いちばん違うのは、井上章一が、京都の範囲についての議論を、京都人のいやらしさとして指摘しているのに対して、この本ではそうは扱っていないこと。

著者は、左京区、鴨川の東に住んでいると言っているのだが、「洛中」の老舗の旦那に、「御土居の内側に住んだら、鴨川と東山が同じ方向に見える。それが京都の風景だから、こっちに住め」と言われたという。これは井上章一が指摘している単なるイヤミ。しかし、著者は、この言葉を自虐のフリをして引用しており、要するにこの旦那にひねこびている。これはダメでしょ。

柊家のもてなしとか、上七軒のビアガーデンとか、まあ、それは結構だろう。しかし、その紹介はいいとして、いちいちそれを京都を持ち上げる材料として使っており、このいやらしさは読むに耐えない。非常に見苦しい。

唯一、読みでがあったのは、茶屋遊びの請求書。これは定価があるものではなく、店との関係で店側が決めてくるものだが、茶屋で料理、舞、お座敷遊びをひととおりして、6時間半滞在し、3人女の子が来て、後日届いた請求書が、24万円余り。このうち、芸妓の花代が12万円、料理が7万円(席料込み)、宴会ご祝儀(芸妓の踊りに対して払う)が5万円。これはかなり安くなっていて、本来、30万から34万円くらいであってもおかしくはないとのこと。

まあ、お金があって、女の子と遊びたい人はこのくらいは使うでしょ。しかし、ここでも一番遊んでいるのは寺の坊主(これも井上章一の本で指摘されていた)だと指摘されていて、本当に嘆かわしい話。