殿敷侃:逆流の生まれるところ

「殿敷侃:逆流の生まれるところ」、広島市現代美術館、2017.5.20


これは、この前の日曜日までかかっていた展覧会。この人のことは全然知らなかったが、とのしき・ただし1942-1992)という人。もうなくなってから25年になる。50歳で亡くなったのだから、早世だ。

めんどくさいので、美術館の紹介文をコピペすると、「広島出身の作家、殿敷侃(とのしき・ただし1942-1992)は29歳で画家を志し、本格的な制作を開始しました。70年代からは生活と創作の拠点を山口県長門市に移し、両親と自身の被爆体験に向き合い緻密な点描による絵画・版画作品を制作します。その後80年代に入ると、シルクスクリーンの実験的制作や、インスタレーション的な提示方法を通して作風を大きく展開させます。また80年代半ばからは、廃棄物や漂流物を素材としたダイナミックなインスタレーションを多数実現させ、それらが現代の消費社会や環境破壊へと向けられた問題意識に基づく創作として高い評価をうけ、国内外の展覧会での発表を重ねていきます。そして、今後のさらなる活躍が期待されるなか、50歳にしてこの世を去りました。」という人。

やっていることは、現在生きている人とそんなに変わらない。この人が生きている当時としては、新しかったのだと思うが、いまでは普通。原爆ネタとか、環境ネタとか、インスタレーションとか、地域とつながる美術とか、今はいっぱいある。

この人は正規の美術教育は受けていない人で、素人画家。高卒で、国鉄に勤め、そこはやめてしまって、絵を描いていたという人。売れる要素があまりない。しかし、作品そのものには力があって、おもしろい。で、おもしろいのは作品ではなく、この人の書いたもの。最近まで生きていた人だし、手紙やら何やら残っているものが出ている。

とにかく、この人がどんなに売れたかったか、コンクールで入賞することがどんなにうれしかったか、野心が非常に強かったのだが、それがいい感じに抜けるような、抜けないようなという状態になっていって、とにかく売れなくても、地元で生きていくしかないと思うようになったというストーリー。

この人は山口県長門市というところで生活していたわけだが、あんなところ、今も何もないが、もちろん当時も何もなかっただろう。美術に関心を持つ人もほぼいないはず。そこでやっていこうとおもったのだから、根性とその土地が好きという以外には何もないだろう。

はっきり言って、途中で見ているのがつらくなる。売れない人はそういうものだけど。この人の展覧会を一度やらなければという美術館の人の志があったのだろう。よい供養になったと思う。