間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに

ロマン優光『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』コア新書、2016


はっきりいって、半分くらいしか書いてあることがわからない本。しかし、おもしろいことはおもしろい。

まず著者の考えは、「サブカルチャーサブカルは違う」ということ。それから「おたくとサブカルは違う」。ここからよくわからないのだが、自分はおたくは、サブカルチャー分野のマニアだと理解していたので、もうすでに話が通じない。

しかし、この本に書いてあるとおり、現在サブカルという言葉を使っている人は、サブカルを厳密に定義しておらず、共通の了解もないので、「自分がサブカルだと思えば、それがサブカル」になっていて、お互い話が通じない。著者は、サブカルとは「町山智浩が編集者として扱ってきたものと、その派生物」と言っている。自分は映画評論家としても町山しか知らないので、この本に書いてある町山智浩の活動は知らなかった。「サブカル」の非常に広い分野を編集者として手がけてきた人。自分は町山智浩は個人的には大嫌い。

この本がけなしているものは、「中森明夫」、「岡田斗司夫」。中森明夫は、「おたく」の命名者という程度の認識しかなかったが、この本を読むとこれはひどい。要するにおたくを完全に上から目線でバカにしていた人。それでいて、自分がおたくの周辺分野で儲けていたので最悪。岡田斗司夫はもちろん最悪。

著者は基本的には町山智浩をリスペクトしているのだが、それでも町山が2011年に新宿中央公園で開いたイベント「原発推進都知事の花見自粛令に逆らって花見して今こそRCのサマータイムブルースを歌う会」はくだらないと言っている。つまり、何かに抗議しているようなふりをしながら、全然抗議にも何もなっていないということ。確かにこれはくだらないわ。国会前で原発とめろと言っていたバカより100倍悪い。というか悪いというより寒いだけ。

自分にとっては、サブカルもおたくも大差ない。自称が違うというだけ。しかし、なぜ自称が違うかといえば、それぞれプライドがあり、マウンティングしているから。このマウンティングが非常にくだらないという著者の意見はそのとおり。ハイカルチャー側のマウンティングもつまらない。好きな人は、好きなものを愛好しているだけで、マウンティングをする必要は感じていない。

わからないことが多いし、読みづらかったが、おもしろかった。著者がいうとおり、はあちゅうなんて、ただの炎上商法の人。ああいうのが最近多いわ。もうかっていればいいのだろうが。