ノンフィクションの「巨人」佐野眞一が殺したジャーナリズム

溝口敦、荒井香織(編)『ノンフィクションの「巨人」佐野眞一が殺したジャーナリズム』宝島社、2013


たまたまこういう本が出版されているのを知って、Amazonで買ったのだが、ひっくり返るほど驚いた。佐野眞一の仕事は盗用だらけ。週刊朝日の差別ネタだけが問題ではなかったのだ。

佐野眞一は大御所で、あれだけたくさん著作があるのだが、この本で指摘されているだけでも、10の書籍または雑誌連載での盗用がある。これは10箇所という意味ではなく、文字通り、10作品で、かなりの分量の盗用。それも最近やったというものではなく、確認されているところでは、1985年の『現代』の記事「池田大作『野望の軌跡』」に、溝口敦『池田大作ドキュメント─堕ちた庶民の神』からの盗用が10箇所以上あったのが最初。

その後も、深田祐介赤瀬川原平山根一眞石牟礼道子竹中労など、有名作家の著作から盗用しまくっている。盗用の仕方は、多少表現を変えたりしているだけで、原文の誤りまでそのまま引き写しており、言い訳のきかないもの。この本に盗用が確認された文章と原文の対照表が掲載されていて、あまりに露骨。

佐野眞一は、「事実自体は著作権保護の対象にならない」などと姑息な言い訳をしているが、この本で指摘されていることには反論はできないだろう。実際に溝口敦に書いた詫び状がこの本に掲載されている。

そんなに昔から盗用している人がなんで今まで仕事をできていたかというと、本が売れて大御所になってしまえば、確実に部数が期待できるので、出版社が佐野眞一を保護してきたから。このあたりはあきれて口もきけない。友人だから、人間関係があるからというような理由で口を濁している人、例えば花田紀凱元木昌彦篠田博之といった人たちもいる。お友達は批判しないのか?あきれた人たち。

そもそも佐野眞一は、「引用される文」と「引用者の文」をはっきり分けて書くという基本的なことができていない。巻末の参考文献リストに載せればいいという態度。「無断引用」という意味不明な言葉を使うのも、著作権がわかってない証拠。

溝口敦は、パクリ作家が大御所になれるというのは日本にしかない珍現象で、国辱ものと書いているが、それはそうだろう。この本は図版多数で、電子書籍にはしづらいだろうが、絶対に電子化して出し続けるべき。本当にひっくり返った。