ぼくらのSEX

橋本治『ぼくらのSEX』集英社文庫、1995


橋本治の「性教育」本。さすがは橋本治で、小学生から大人まで、全年齢で誰が読んでも大丈夫なように書かれている。小学生だと全部はわからないだろうが、それでも一部はわかるだろう。中学生以後は、だいたいわかるはず。

性教育である以上、「正しいセックス」について語らなければならないが、今ではセックスの多様性や子供の性衝動、オナニーについて否定しないように、リベラルな方向で語らなければならない。著者の立場もそれ。

この本は、論理を一貫させて語っている。セックスは、自分の生きるエネルギーから来るもの。その上で、基本的には他人と自分がすること。だから、自分があって他人との関係を作れないうちはできない。体だけ成熟しても、他人との関係が作れなければ、セックスしてもトラブルになるだけ。

その論理で、子供が大人になるまで全部をガマンさせるのではなく、子供が大人になる過程でセックスを少しずつ受容させるように理屈を立てている。セックスの基本はオナニーであるとも言っている。快感を得るための行為ということでは差はない。ただ、そこからセックスまでの間には距離があるということ。

源氏物語を引用している部分はこの本の白眉。光源氏にも、光源氏の妻たちにも、「自分がない」と言っている。妻たちの場合には、「他人の思い通りにされることしかできない」ということだが、光源氏の場合には、「他人に自分を出そうと思えばできるのだが、それができないままに過ぎてしまった人の悲劇」というもの。甘やかされて何でもできるということも、人の成長を妨げるということ。

性規範の変化、同性愛、SM、ファザコン、マザコン、AIDSのようなことについても、一貫した理屈で、ていねいに書かれている。図版はないが、そこを除けば、これを理屈でわかる人にはわかるように書かれている。さすがは橋本治