内側から見たテレビ

水島宏明『内側から見たテレビ やらせ・捏造・情報操作の構造』朝日新書、2015


元テレビディレクター、現法政大学教授の著者によるテレビ業界の内情。

著者は、自分なりの立場と正義感がある人なので、自分が考えるテレビのあるべき姿と現実のギャップについて語っているのだが、テレビ番組が「手間とお金がかかったぜいたくな商品」だということと、その商品が質的にどうなのかというのは別問題。

著者は、田母神俊雄が「ニュースの冒頭からサッカーの話を12分も放送するようでは国民が馬鹿になる」と言ったエピソードを取り上げているが、そりゃそうだ。もちろん、その理由が「視聴率を取るため」であることもちゃんと理解している。NHKのニュースがバラエティー化していることも認識している。この傾向が顕著になったのは、NHKの9時台のニュースが、2006年4月から現在の「ニュースウォッチ9」になった後のこと。

ニュースストーリーに「記者の顔出しレポート」がつくようになったのも、こちらの方が数字が取れるから。結局、数字を取りたいということにおいては、NHKも民放も大差ない。やっていることは同じ。これが変わらなければ、何を言ってもムダだと思うが、著者は現場の工夫や裁量でなんとかなると思っている。それは違うのでは?

視聴者の苦情に番組は非常に敏感。これもテレビ局の性質。であれば、どうしてテレビ局は苦情に敏感なのか、いつからそうなったのか説明して欲しいのだが。

著者は、「弱き者のためのジャーナリズムを」と言っているが、これはこれで著者の単なる紋切り型ではないのか?そういうものと、「犯罪は絶対に許せません」という紋切り型は何か違うところがあるのだろうか。自分には、著者が自分の好みにテレビがあてはまっていないので文句をつけているようにしか見えないが。

著者はBPOに対して、生活保護バッシングが放送倫理違反だと訴えたところ「不審議」、つまり問題にしないという結果が出た。まあ、そうでしょう。あとは、ネット右翼批判。著者の単なる個人的見解。それを放送倫理と同じにされては困る。それでいて、「マスゴミ」と言われて怒っているのでは仕方ないのでは?