華族

小田部雄次華族 近代日本貴族の虚像と実像』中公新書、2006


華族を紹介する本。華族の成立、明治期、明治~大正期、大正~昭和期、敗戦後に分けて、華族制度と、華族についてのいろいろなエピソードが書かれている。

まず、「華族」の名前も、区分の方法も、制度が成立する前は相当議論があり、公侯伯子男の名称や5区分することなども、早くから固まっていたわけではない。

華族の待遇を受けた家も、大名、公家、旧皇族、勲功者、神職、僧侶、琉球王家、朝鮮王家など多様。下位の爵位は、適当に決まっていて、受けた位が軽すぎると不満を言う者も多かった。

初期の華族は、多額の金禄公債をもらっていた大名華族が圧倒的な富を持っていて、彼らが第15国立銀行や鉄道、農場などへの投資を通じてさらに収益をあげていた。公家華族は基本的にそれほど資産がない。

家族制度は78年間続いたので、その間に没落した華族も多かった。資産家が華族になった者はともかく、華族だからといって、特別な手当が国から支給されることはなく、体面を保つためには多額の出費が必要。資産運用に失敗すれば没落するしかない。

華族が集まっていたのは、華族会館学習院貴族院華族会館学習院はともかく、貴族院には、伯子男全員が議員になれないので、そのための競争も厳しかった。

恋愛がらみのスキャンダルや、「赤化」事件もあり、それらは現在のセレブのスキャンダルと変わらない。悪名が高くなると、「粛正」の対象になり、華族の身分を剥奪されていた。

敗戦後に華族制度は廃止されるが、この廃止を言い出したのは、占領軍ではなく、日本人。占領軍は特権を伴わなければ一代限りで華族の称号は残すつもりだったが、自由党、進歩党にも廃止派は多かった。華族制度を残そうとしていたのは、当事者の華族と一部の人だけ。昭和天皇は公家に限って華族の身分を残したがっていたが、まったく無視されていた。華族の資産も、高率の財産税によって取り上げられ、斜陽になるばかり。華族会館は、霞会館として残ったが、華族のネットワークはほとんど消滅してしまう。

どんな家がどういう事情で華族になっていたかを知ることが読んだ目的だったので、この本はありがたい。後半三分の一は、すべての華族(初代と前歴、華族になった日付、陞爵した場合はその理由と日付)のリストがついている。これを眺めているだけでたのしい。