真田丸 #18

真田丸」#18 「上洛」


真田昌幸に「上洛すれば大名にする」という秀吉の書状が来て、直江兼続も上洛するように強く勧めてくる。なぜ秀吉に臣従するのか、納得のいかない昌幸は不満を言っているが、母親の説得もあって、従うことにする。しかし、隙あらば秀吉の寝首をかこうと企む昌幸。

昌幸は信幸を伴って大坂に来て、やっと信繁と対面するが、信繁に「おまえならどう攻める」と尋ね、「城の絵図面が欲しい」と要求。信幸は、古寺に泊められるのは納得行かないので、大阪城に泊めろという。

信繁は、石田三成に城中に泊めてほしいと頼むが断られ、自費で出雲阿国一座の踊りを見せて饗応する。

翌日、秀吉に拝謁するため献上品を石田三成に内覧させる昌幸らだが、石田三成の態度が悪い。しかも謁見したのは、秀吉ではなく、甥の秀次。信幸は非礼だと怒り出す。そこに、大谷吉継が現れて真田をほめるが・・・。

信繁は、茶々に頼んで秀吉にとりなしてもらい、自分は秀吉に戦をちらつかせてやっと秀吉の謁見を実現させる。そこで言い渡されたのは、真田は徳川の与力となるということ。

謁見の後、出雲阿国一座からもらってきた松を父と兄に引き合わせる。びっくりする昌幸と信幸だが、松は記憶を取り戻せない。しかし、きりの一言をきっかけに昔を思い出す。

信濃への帰り、駿府徳川家康にあいさつし、与力となることを述べる昌幸。大笑いする家康に黙りこむ。


秀吉への臣従をこの回で片付けたが、国衆クラスはそれほど重んじられないので、上杉、徳川の臣従とは大違い。結局自立などできないという現実を見せられることになっている。松と再会して記憶が戻ったので、それで少し悲惨さが緩和されているが、事実は動かせない。小田原攻めはこの日程では、5月中か6月初めになっているはず。