大井篤海軍大尉留学記-保科さんと私

大井篤『大井篤海軍大尉留学記-保科さんと私』、KADOKAWA、2014


海上護衛戦』の著者、元海軍大佐大井篤が、大尉時代にアメリカ留学した際の回想。未完であり、唐突に終わっている。

初出は、「偕行」の連載で、「保科さんと私」は連載時のタイトル。保科さんとは、元海軍中将保科善四郎のことで、大井篤とは、海軍兵学校の10期先輩になる。保科善四郎は、最後の海軍省軍務局長で、戦後は海上自衛隊創設に貢献し、衆議院議員を長く務めた人物だから、保科が1991年に死去した後で、生前親交のあった大井篤が、その思い出を書くように頼まれたのがこの本の趣旨。

しかし、大井篤も連載途中で死去していて、この本には保科善四郎のことはほとんど書かれていない。著者自身が海軍からアメリカに留学生として派遣された時のことから、記述を始めようとしていて、実際にアメリカ留学時に保科善四郎(当時は中佐)とも会っているのだが、著者自身のことを書いているうちに寿命が尽きてしまい、元タイトルが内容に沿わなくなってしまった。そこでタイトルを変えて出したということ。

大井篤は、東京外語学校に派遣学生として学び、その後アメリカ留学を命じられてヴァージニア大学ノースウェスタン大学で学んだが、この本に出ているのは留学一年目のヴァージニア大学のことが中心。「何でも好きなことを学んでこい」という鷹揚な命令だったので、アメリカ史、特にジェファーソンを学んでいる。

この頃の人としては仕方がないことだろうが、もともとアメリカ史について知識を持っていたわけではなく、哲学や思想についても多くは知らないので、アメリカ人に議論をふっかけられると、すぐに太刀打ちできなくなり、「大和魂」とか、「家族主義」というようなことを答えて適当に対応している。当時のエリートである海軍兵学校卒業生でもこういうもの。

28歳の海軍大尉としてはやむを得ないのだろうが、それより問題なのは、著者以外の海軍軍人はアメリカに対して、さらに狭い見識しか持っておらず、アメリカに行っても、アメリカのことはよくわかっていないこと。アメリカに行ったこともない者がほとんどで、海軍軍人はアメリカについてろくにわかっていなかった。これでアメリカを第一仮想敵としていたのだから大変だ。

後半に阿川尚之が解説を書いている。阿川尚之は、生前の大井篤に直接会って話を聞いており、同じヴァージニア大学でも学んでいるので、解説の仕事を引き受けたのだと思うが、この本を読む人は、大井篤がどういう人物で何をした人なのかをよく知らないことがあるはずなので、アメリカやヴァージニア大学のことよりも、大井篤の人物や、当時の海軍軍人のキャリアの中で留学がどういう意味を持っていたのかについて書いてくれたほうがよかった。

この、中途半端な本が、著者の死後20年もたってから出版されることになったのは、いろいろな事情があってのことだろうから、あまり文句を言うべきではないが、この本が出版される意味をもうちょっと明確に書いてもらいたかった。