海軍将校たちの太平洋戦争

手島泰伸『海軍将校たちの太平洋戦争』、吉川弘文館、2014


吉川弘文館の歴史文化ライブラリーで、最近出た本。海軍から見た太平洋戦争について書かれている。

この本の眼目は、「海軍から見た太平洋戦争終結までのプロセスの内在的合理性」。外から見て、合理的でないことであっても、海軍の組織としてはそれなりの合理性のある行動だったという前提に立って、海軍および海軍中枢にいた軍人たちの行動を再解釈している。

海軍の行動は、一貫して「組織防衛」と、海軍の「機関哲学」の貫徹。日独伊三国同盟締結を認め、太平洋戦争に突入したことは、「そのような事態はできれば阻止したかったが、海軍がそのことの責任をすべて取らされるような事態は避ける。また、対米戦に備えることが海軍の存在理由であり、組織利益である以上、対米戦が海軍の都合でできないということになっては困る」ということ。

首相、陸海軍、大蔵省、財務省など、大きな発言力を持っていた機関も、「拒否権」を持っていたわけではなく、合意形成の流れを自分の機関の都合だけで左右できたわけではない。従って、海軍ができたことは、政府の決定に海軍の意向が反映されるように働きかけることだけ。それ以上のことは海軍の孤立化を招くので、海軍将校たちはそうしたことをしたいとは思っていなかったということ。

「親英米派」「和平派」と見なされていた米内光政も、決して例外ではなく、リーダーシップを取って戦争終結をめざしたわけではなく、外務省や他機関の管轄事項については、それを尊重し、さらに出来る限り、組織内の反発を最小化しなければならなかった。特に敗戦間近の時期には、閣議だけでポツダム宣言受諾を決めても、部隊が言うことを聞かず、軍の組織が機能しなくなる可能性があった。ポツダム宣言受諾の決定はぎりぎりのもので、米内はその中で、重要ではあるが、歯車を回した一人としての役割しか持てなかった。

これまで言われていたことを再確認するものだが、海軍は、官僚制の論理を体現した組織であり、個人よりも組織的合理性のレベルに注目しなければならないということ。井上成美が敗戦前に海軍次官を更迭されたことも、他の組織とぶつかっている井上が海軍次官では、政治的決定には障害にしかならないから首を切られたということ。

官僚制の作用を再認識させてくれた良書。