ヒトラー・ユーゲント

H.W.コッホ(根本正信訳)『ヒトラー・ユーゲント 戦場に狩り出された少年たち』、サンケイ出版、1981


サンケイの赤本で、ネタは、ヒトラー・ユーゲント。著者は、ドイツ人の歴史家だが、本人がヒトラー・ユーゲントの出身。それも当然で、ヒトラー・ユーゲントがその名前を名乗り始めたのは、1926年。1945年まで存続したのだから、19年間続いたことになるし、ヒトラーが政権を取った後は、ドイツの青少年団体はヒトラー・ユーゲントに統合されたので、ヒトラー・ユーゲント出身者であることは、当時少年少女だったドイツ人にはごく普通。1939年の時点で、ヒトラー・ユーゲント団員は、10歳から18歳未満までで、800万人いた。

この本は、ヒトラー・ユーゲントの創設期の事情や、グルーバー、ハイネス、シーラッハらのヒトラー・ユーゲント幹部のことについても書かれているが、ヒトラー政権期のドイツ青少年運動や、教育システムについても広く目配りして書かれている。キリスト教青少年組織が、ナチ党とヒトラー・ユーゲントにとってかなり厄介な存在であったことや、ヒトラー・ユーゲント団員の出身階層、ヒトラー・ユーゲントが青少年教育の目標として何を重視していたか、などについて幅広く書かれていて、おもしろい。

一言で言うと、ヒトラー・ユーゲントは、イデオロギー教育の場であったが、同時に体育やハイキングなど、理想的ドイツ人を養成するための体力づくりに大きな比重がかけられていた。イデオロギー教育はなされていたが、ソ連のように過去の伝統をすべて抹消して新しいイデオロギーを青少年に浸透させるまでのことはできていなかった。

ナチス政権は成立してからそれほど長く続かなかったこと、保守派とある程度妥協する必要があったことが、その背景にあるが、ナチ体制が子供を完全なイデオロギー戦士にできなかったことはおもしろい。

また、ヒトラー・ユーゲントのエリート養成機関の、国家政治教育学院(NAPOLA)とアドルフ・ヒトラー学校(AHS)にも触れられている。こちらはエリートだが、やはり体育、軍事教練中心ということは同じ。ナチ党幹部養成機関と、陸軍幼年学校の中間みたいなもの。

最後にSS「ヒトラー・ユーゲント」師団のエピソードが載っているが、写真をみると、本当に子供ばかり。これは胸が痛む。