ウルトラマンA 52話

ウルトラマンA」52話、「明日のエースは君だ」


これはひさしぶりに見た。ほとんど内容は忘れていたが、見たら思い出した。

撃墜された宇宙船から、「サイモン星人の子供」(宇宙人が子供か大人か、見ればわかるのか?)が出てきて、最初はかわいそうな弱者を装っていたが、実はこれがヤプール人が化けていたのでした、という話。

最初、子供たちは「宇宙人は死刑にしろ!」と騒いでいるが、北斗が「ウルトラ兄弟は弱いものいじめはしない」と説教すると、「サイモン星人を守るんだ」と豹変。しかしサイモン星人自身が、北斗にテレパシーを使って「わたしが本物のヤプール人だ。だが、わたしを撃てば子供たちの信頼を裏切ることになるから、おまえたは撃てないだろう」と伝えると、北斗はあっさりサイモン星人を撃ち殺す。

怒る子供たちに、北斗は、「おれがウルトラマンA。最後の戦いを見ろ」と変身、超獣ジャンボキングを倒して、宇宙に帰っていくのでした、というおはなし。

ウルトラマンAに変身するところを見られたら、二度と人間の姿には戻れない」と告げる南夕子。ここでひさしぶりに登場。しかし、北斗が地球にいられなくなることをわかっていて、あえて変身するのが「子供の心を守るため」というのは、最初に見た子供時代ですら、「こんな説得力のない理由で、ウルトラマンAが消えちゃうのか」と思ってがっかりした。

実際、「死んでしまい、ゾフィーに命をもらった」(ウルトラマン)、「身体がもたなくなった、仲間を救うため」(ウルトラセブン)、「新ゼットンとバット星人を倒した後、郷秀樹が死んでから登場。なぜ宇宙に帰るのかは不明」(帰ってきたウルトラマン)と並べてみると、前の2シリーズはいいとして、「帰りマン」と「エース」は、シリーズ最終回にしては理由が薄すぎる。

しかも、北斗の最後の説教「優しさを失わないでくれ。弱い者を労り互いに助け合い。どこの国の人とも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。たとえその気持ちが何百回裏切られようとも。それが私の最後の願いだ。」は、それまで問答無用でヤプールと超獣を殺しまくっていたウルトラマンAのセリフにはぜんぜん似合わない。

「子供の純粋な心」という脚本の前提がウソ臭い。今の見ていると、むしろ子供は「愚民の象徴」だ。愚民は、見た目に振り回されるが、それでもウルトラマンAが守らなければならないのはその愚民なので、最後に説教だけして宇宙に帰る、と考えたほうが話はスッキリ。「帰りマン」の「怪獣使いと少年」(こちらの脚本は、上原正三)も、愚民を相手にする話だった。しかしあちらは説教はなく、愚民を更生させるというムダな試みはなし。やはりエースは帰りマンに負けている。