北朝鮮を見る、聞く、歩く

吉田康彦北朝鮮を見る、聞く、歩く』、平凡社新書、2009


著者いわく、「北朝鮮の文化、芸術、市民生活を紹介しながら、同時に北朝鮮という国の過去と現在を語り、その本質に迫るとともに日朝関係の未来を語ろうというもの」という本。

著者は、自分なりに北朝鮮からある程度距離をとろうとしている様子はうかがえるので、「北朝鮮シンパ」と一刀で切って棄てるのは行き過ぎている。しかし、この本は正確には、「北朝鮮が外国人に見せているもの」を紹介しているだけで、「北朝鮮の文化、芸術、市民生活」の紹介ではない。

北朝鮮をたびたび訪問しており、平壌以外の地方もあらかた行っていると書かれているが、平壌、開城、妙香山、金剛山ほかの北朝鮮で連れて行かれる定番の観光地以外の記述がない。つまり地方都市には行っていない。また、連続して長期に北朝鮮を訪問しているのだから、同じ所を訪問していても、時間によってどのように風景が変わっていったかということは書けるはず。しかし、そこが書いていない。

結局できたものは、「ちょっと北朝鮮に批判的なスパイスを加えた、北朝鮮の少し詳しい観光ガイドブック」以上の本ではない。著者は朝鮮語があまりできないということで、現地で見た文字を読み取る能力が低いことも関係あるだろう。しかしこの本は2009年に出版されているのだ。脱北者や外部からの観察で、北朝鮮が見せたがらないものもある程度はわかっている。著者は、北朝鮮が公式に認めるニュースソースや、朝鮮総連の出版物、韓国内の北朝鮮シンパの出版物を主要な情報源にしているようだが、見る目がない人が何度訪問しても、北朝鮮の内部に何があるかはわからないし、気に入らない情報であっても見るべきものは見なければ、大事なことはわからない。

著者は今後も北朝鮮を訪問するつもりなのだろうから、あまり北朝鮮に対して不都合な記述がしにくいのかもしれないが、それならそのように書くべき。この内容は、あまりにも薄すぎる。