女子漂流

中村うさぎ三浦しをん『女子漂流』毎日新聞社、2013


去年の秋に出た、中村うさぎ三浦しをんの対談本。早く読みたいと思いながら寝かせていたが、思っていたよりもっとおいしい本で、読むとほくほくである。

中村うさぎは1958年生まれ、三浦しをんは1976年生まれなので、世代も違うし、方向性も全然違うのだが、社会の求める女性像とはあさっての方向に爆走している点では同じなので、ちゃんと話がかみあっている。

主にネタは、男とエロなのだが、女子校出身で、大学は共学という共通点もあって、「男の視線を気にしない」ところに話が落ち着いている。三浦しをんは、エッセイでも男の話をほとんどしないので、露悪趣味か、リア充ライフを隠すためにやっているのかもと疑っていたが、全然違っていて、ほんとうにモテないことで悩んでいたらしい。誤解していてすみません。正確には、「モテたくはあったが、モテるために必要な準備にまったく興味を持てず、気がついたらいい年になっていた」というもの。しかし三浦しをんくらい、渋い趣味を持ち、たくさんの仕事をしている人なら、多少可愛くなくても男くらいどうにでもなりそうな気はするが、現実にはそうはいかないようだ。

「自意識と自分」「世間体と自分」のせめぎあいが自分を苦しめるので、そういう人はさっさと出家(遁世)するべきという結論に向かっているが、自意識と世間体の両方を乗り越えるのはたいへんだ。もちろん、三浦しをんはそんなことはご承知で、それでもその道を歩まないと自分を否定し、他人も否定することになるとおっしゃっている。

中村うさぎは、「目指すべき目標をもたずに漂流することが自分たちの生き方」と言っている。漂流しながら、ちゃんと自分たちの生活が成り立っているのだから、この二人はエライ。まあ中村うさぎは破綻の縁から破綻の縁にさまよっているような人だから、それでなんとか生活ができていることが非常にエライ。

巻末に、中村うさぎマツコ・デラックスの対談本の広告が出まくっていた。これも買わねば。