八重の桜 50話

「八重の桜」50話、「いつの日も花は咲く」


日清戦争が始まって、八重は広島の陸軍病院で負傷者の看護。負傷者には清国兵もいることになっているが、わざわざ清の負傷兵を広島に運んだりするかねぇ。当然八重は中国語は話せないのだが、ペラペラ日本語でまくしたてている。なんでこれが通じるのかは謎。八重は兵隊に嫌味を言われているが、大山巌の訓示と戊辰戦争の昔話を振り回して撃退。

看護婦達は、「婦人従軍歌」を歌っているが、これは日清戦争時にリアルタイムで歌われていたもの。広島で八重は徳富蘇峰と会うが、蘇峰は兵隊にインタビューをとって記事にしたいので、士気鼓吹が目的の蘇峰とそういうことが気に入らない八重はまともにぶつかっている。蘇峰は板垣のところに行って強硬論をぶつので、板垣から「それが新島襄の弟子の言うことか」と嫌味をいわれる。

戦争が終わってしばらくして、八重は茶道に打ち込んでいる。さすがに洋服は着ていない。明治29年に佐久は死去。この頃久栄と義母の登美も死去。この頃、八重は50代なかばのはずだが、洋服を着ないこと以外ほとんど見た目の変化なし。お茶の稽古をしているところに京都府の役人が来て、勲七等宝冠章の叙勲を伝える。

東京では、斎藤一こと藤田五郎がまだ元気で巡査に剣道の稽古をつけている。もう出てこないのかと思ってたら、こんなところで出たか。八重叙勲の話は、妻の時尾と山川二葉も聞いて喜ぶ。

山川浩は、弟の健次郎に容保への御宸翰を世に伝えるように言い残して死去。この頃、徳川慶喜明治天皇に拝謁。勝海舟会津のことを話しているが、脳天気な慶喜がこの頃に会津の心配などしているわけがないと思うが…。「信義に守られた主従の絆はわしには手に入らなかった」と言っているが、天皇拝謁に努力してくれた勝海舟を前にしてそんなことを言うのは失礼すぎ。

山川健次郎が御宸翰のことを本にして出版しようとするので、大山巌が家に呼んで止めにかかる。大山の説教には耳を貸さない健次郎だが、捨松が出てきて、「御宸翰のことで争いが起こるのは、お殿様も望まないはず」というようなことをいい、出版延期を納得させる。

八重は久しぶりに故郷の会津を訪ねて、子供の頃に上った桜の木の下に立つ。そこに現れたのが西郷頼母。すっかり白ヒゲが伸びて、花咲か爺のような風貌。頼母相手にロシアに好戦的な世論の批判をする八重。頼母は八重に「にしゃ、桜だ。花が散っても何度でも何度でも花咲かせる」と言う。

八重は徳富蘇峰に茶をたてて、国民新聞の軍備増強論にイヤミを言う。晩年まで会津戦争の自慢をしていた八重が、反ナショナリズム反戦で蘇峰に議論をふっかけるとか、ないわーと思うが、NHKのドラマだからこんなもんでしょ。

ラストの場面は、会津戦争の頃の格好をした八重が空に向かって一発撃ち、それで雲が晴れたところをこの時点での八重が見つめているというもの。テーマ曲とクレジットが入っておわり。


ホームドラマみたいな大河ドラマでなくてよかったとは思うが、幕末から明治の後に長生きした人のドラマは、途中で話が完全に変わってしまうので、脚本を書くのがむずかしい。再来年の大河ドラマが「花燃ゆ」?吉田松陰の妹?こっちも、幕末から明治までずっと長生きした人である上、本人に特別な事績がなく、周りの人を描く話になるから、変な脚本だとさらに悪いことに成るような。来年は黒田官兵衛だから、おもしろい話にしてくれるといいが、脚本家の前川洋一は知らない人。だいじょうぶなのか。