八重の桜 40話

「八重の桜」40話、「妻のはったり」


府県会が開設されることになり、覚馬も当選した。第1回府会で、覚馬は議長に選出される。府知事の槇村正直は露骨に不快そうにしているが、手は出さない。

同志社では、第1回の卒業生が出ることになり、市原盛宏が教師として学校に残ることになったが、牧師になった者は6人だけ。外国人教師は、これでは学校の責任が果たせないので、卒業生に牧師になることを勧めるように襄に訴えるが、襄は「進路は生徒の自由」として取り合わない。さらに外務省からは、外国人が経営する学校は認められないから廃校にしろと言ってくる。

群馬の安中から、襄の両親が訪ねてくる。襄が家事を自分でしたり、八重に「襄」と呼ばれているのを見て、両親はあぜんとするが、襄は変わった子だったから仕方ないと、結局八重を受け入れる。

生徒たちは、襄が外国人教師に弱気過ぎると批判するが、その場に居合わせた八重は、襄の額の傷は、役人と戦ってついたものだととっさに嘘をついてしまう。

外国人教師は、伝道師を養成するクラスを特別に作り、これまでの上級クラスと下級クラスは合併することを提案する。襄は、それでは教育がおろそかになると反対するが、アメリカン・ボードの援助が受けられなくなれば学校は終わりだとして、提案は通ってしまう。生徒は反発してストライキに入り、外国人教師は、生徒に罰を与えるように襄に迫る。

襄は、生徒を集めて、すべての責任は自分にあるから自分が罰を受けるとして、杖を取り出し、自分の手を激しく打つ。あまりのことに生徒が襄を止めてその場はおさまるが、八重がなぜそんなことをしたのかと尋ねると、「生徒が勝手に額の傷を刀傷だと言っているので、信念のために戦う強さを見せたかった」と答えられる。八重は、その話は自分が作ったものだと白状するが、襄はニコニコしている。

徳富猪一郎は、事件の責任を取って退学すると申し出て、学校新聞に襄の言葉をもらいたいと言ってくる。襄は、「大人とならんと欲すれば、自ら大人と思うなかれ」と書いて渡す。猪一郎は、退学後も襄と変わらぬ友情を保ったのでした。


オダギリジョーが弱気すぎなのは前から気になっていたが、だんだんそういうところも新島襄の味なのだと納得できるようになってきた。自分を打つところは、よい場面。他の会津の人々はこれからどう描くつもりなのか、いまいちよくわからないが…。