八重の桜 39話

「八重の桜」39話、「私たちの子ども」


同志社女学校ができたが、レディーにふさわしいマナーを教えろという外国人教師のアリスは、生徒たちや八重と激しく対立。八重はマナーの授業だといって、生徒に薙刀を教える。

生徒の中には、薩摩出身の者がいて、「自分の父親は戊辰の役で、会津に殺された」と八重を難詰する。八重は動揺するが、襄が、「誰にも学校は辞めさせない」と言い切る。

西南戦争が終わって、山川浩大山巌から功を賞される。しかし山川は、「戦いに参加したのは薩摩への報復。大義なき戦いで身内を失う痛みがおわかりか」と冷たく返す。大山は、「戦は終わりじゃ」と答えるのみ。

同志社女学校は仮校舎しかなく、本校舎に移転したいのだが、土地を売ってもらえない。覚馬が槇村正直のところに談判に行くと、槇村は外国人が資金を出す同志社の意図に疑問を持っていた。さらに京都府顧問を辞職するように、暗に促される。

薩摩出身の女生徒は襄に会って、学校を辞めたいと言い出すが、生徒たちとの食事に招かれる。ところが食事の席で、八重が会津戦争で銃を持って戦ったことが話に出て、女生徒を撃ったのが八重であることがわかってしまう。八重は頭を下げて許しを乞うが、いきなり喀血。実は結核だった。

結核の女生徒を、八重と襄は、自宅に引き取って看病することにする。八重は献身的に看病するが、女生徒は心を開かず、食事も食べない。とうとう八重はキレて、「生きるためには食べろ」と叱責する。襄は、後から女生徒に、八重も戦争で父と弟を失ったことを話す。なぜ自分の看病をするのかと問われて、襄は「あなたは私たちの子どもです」と答える。

女生徒と八重は、お互いに和解し、回復した女生徒は鹿児島に帰っていく。女学校の替え地は、覚馬が京都府顧問を辞めることと引き換えに、英学校の隣に買い取ることができた。

佐久とみねは、キリスト教に入信する。襄は、同志社を一つの家族とすることに八重が貢献してくれていることに礼をのべるのでした。


ドラマとしてはちゃんとできているのだが、八重が薩摩出身の生徒に土下座して謝るのはどうなの?これはちょっと八重のいままでの態度に合わないと思う。八重が前回あたりからすっかり戦争反対みたいなことを言っているのも腑に落ちない。晩年は、会津戦争の自慢話をしていたような人が、こんなことを言うかな。もっとも「西南戦争は薩摩への報復」というセリフは、山川浩が言っているので、そういう考え方は山川に代弁させたと解釈することもできる。

しかし西南戦争が終わっても、ドラマとしてグダグダにならなかったのには安心した。音楽も幕末までとは非常に印象が変わり、悲劇的でない暖かいものになっている。最後まで見ていける展開になるといいな。