八重の桜 37話

「八重の桜」37話、「過激な転校生」


八重は新島襄との生活をはじめるのに、洋服を着てみたり、卵焼きとベーコンの朝食をつくってみたり、ベッドに寝てみたり、いろいろと西洋風の生活を試している。襄は、八重に「後ろについてくる妻ではなくて、ともに歩いてくれる妻を求めていた」と伝える。

襄は、熊本洋学校の生徒がクリスチャンになったために迫害されていると聞いて、生徒を受け入れることにする。八重は教師が二人しかいないから無理だろうというのだが、結局いままでとほぼ同数の生徒が入ってくる。

熊本からの生徒は、最初の授業から、「教員経験のほとんどない新島襄に、専門外の科目が教えられるのか」、「頭からはきものまでバラバラな格好をしている八重は、「鵺」だ」とか、失礼なことをどんどん言い出す。実際に、京都から入った生徒より、英語も議論のレベルもはるかに上なので、京都からの生徒は簡単に文句を言えない。昼食時のお祈りのことでも揉めている。

京都からの生徒が二人、校内の揉め事に耐えられなくなって辞める。襄は、自分の力不足で生徒を辞めさせてしまったと落ち込む。八重は、気に入らないところがあっても、「良いものは良い」と受け入れるべき、教師は何かひとつよいものを与えられればよいと襄を慰める。

熊本からの生徒は、授業の内容を変える、校内は禁酒禁煙、ついていけない生徒は辞めさせる、新島襄は校長を辞め西洋人宣教師に代わるといった要求を突きつけ、受け入れられないのなら学校を辞めると言い出す。新島襄は、「己のために他者を排除する者は認めない。誰も辞めさせない」と生徒たちに語る。生徒がなおも辞めようとするのを、八重が「一緒につくっていけばよい。力を貸してくれ」と加えて言う。

生徒らは、「人前で涙を流すとは情けない奴」と襄を批判するが、徳富猪一郎(蘇峰)が「生徒のために人目をはばからず涙を流せることこそ男らしい」と皆を説得する。

四民平等や廃刀令で、士族は激昂し、会津藩士が山川浩のところにおしかけてくるが、後で、藩士たちが巡査を斬ったことが騒動になる。佐川官兵衛は、山川のところに来て、「会津藩士たちとは会わなかったということにしておいてくれ」と念押しする。山川は自分が何もできなかったことを嘆く。

八重は、騒動の翌朝、自分で「新島鵺でございます」と生徒たちにあいさつし、生徒はまた教場に戻るのでした。


新島襄が生徒の前でいちいちあれだけ泣いたというのは史実なのか?あれでは、熊本バンドの生徒でなくても、人前であっさり泣くというのは、教師としてどうなの?と思うだろう。八重が気の強い人間として描かれている分、夫は薄いキャラにされているのかもしれないが、前夫の尚之助に比べてもやりすぎじゃないのか。

話はすっかり同志社学園ドラマになってしまったので、来週西南戦争というのが面食らう。西郷も佐川官兵衛も死ぬのだから、ストーリー上は重要回のはずだが、同志社のほのぼのドラマとちゃんとつじつまは合うのだろうか。