八重の桜 34話

「八重の桜」34話、「帰ってきた男」


冒頭、やっと新島襄アメリカから帰国。新島襄は、木戸孝允に会って「日本にキリスト教の学校を建てたい」と陳情する。大坂では断られたという新島に京都をすすめる木戸。

八重は覚馬の命令で、宣教師のところに聖書を習いに行かされる。しかし八重にはキリスト教の教義はまったく納得いかない。覚馬は、新島襄に会って学校建設に対する支援を頼まれ、「日本を誤らせないためには、良心をもった人間が必要」と言って二つ返事で引き受ける。そんなにあっさりと引き受けたのか?この時点では覚馬は、キリスト教に多少関心を持っている程度のような描かれ方しかしていないが?

覚馬は新島襄を、府知事の槇村正直のところに連れて行く。槇村はキリスト教と聞いて渋い顔をしているが、大阪府知事の渡辺昇がこの話を断ったというのを聞いて、にわかにその気に。しかも私費で作るというので簡単に乗ってくる。槇村は、新島襄に嫁を取れと言い、ついでに八重のことを思い出す。

八重は、宣教師のゴードンに新島襄を紹介され、ゴードンの召使と思っていたのでびっくり。

山川家では、これもアメリカに留学していた山川健次郎が帰ってきた。イェール大学で文学を修めて帰ってきたのだが、イェールの卒業証書は全文ラテン語だ。大学の名前までラテン語表記。昔はこうなってたのか。兄の山川浩佐賀の乱で左腕を失い、陸軍中佐。佐川官兵衛は、旧会津藩士を連れて警視庁に勤めている。

この後、新島襄と八重が出会う場面は、パンをくわえた高校生同士がぶつかったという感じ。新島襄は、井戸の端に座っている八重を抱きとめた後で、しばらくいろいろあって八重が掃除をしているところに行き会った新島襄は八重に求婚。これで今回はおわり。


新島襄が妻としての理想の女性像を語るセリフが、槇村正直との会見の場面でちゃんと話されているし、覚馬と新島襄が昔、佐久間象山蘭学塾で会っていたというエピも再度紹介されているのだが、そんなのすっかり忘れてた。それでラストに求婚?ちゃんとした求婚と八重の返事は来週になるのだが、こんなにあっさり話が進行していいのか?

話が明るくなったのはいいが、前回も今回もどうも納得いかない。八重はキリスト教の教えには納得いってないといいながら、新島襄キリスト教の教え通りにしろと言ったり、賛美歌を歌ったりしてるし。

しかし一番納得いかないのは、オダギリジョー新島襄。アホっぽい真っ直ぐな人格者という設定らしいが、ほんとうにアホにしか見えない。尚之助と同じキャラにするわけにはいかないから、盛ってキャラをつけているのかもしれないが…。出番が少なかった新島襄がいきなり主役のひとりになったのが違和感の原因だろうか。どうもなじめない。