放送禁止歌

森達也、デーブ・スペクター(監修)『放送禁止歌解放出版社、2000


いわゆる「放送禁止歌」の由来を追究した本。デーブ・スペクターは、第3章で森達也と「日米での放送規制についての違い」について対談しているので名前が入っているが、実質的な著者は森達也

この本の元になった企画は、森達也がフジテレビで制作して放送した、放送禁止歌についてのドキュメンタリー番組。フジの「NONFIX」枠で1999年5月22日に放送された、「放送禁止歌 唄っているのは誰?規制するのは誰?」の制作過程が第1章になっている。

この部分だけ読めば「放送禁止歌」というものが正式にはどのように取り扱われているのかがわかる。民放連が作成した「要注意歌謡曲一覧表」というリストが元になっていて、A(放送しない)、B(旋律は使用してもよい)、C(不適当な箇所を削除または改訂すればよい)の3分類にカテゴリー分けされている。驚いたのはピンクレディーの「S・O・S」がCランクでリストに入っていたこと。あの歌のどの部分が引っかかっていたのか、まったくわからない。あれほどテレビで流れまくっていた歌なのに。

リストに頻出しているのはつボイノリオの歌で、「金太の大冒険」「極付けお万の方」「吉田松陰物語」「快傑黒頭巾」と4曲も入っていて、全部A指定。つボイノリオはアルバムを持っていたので内容は全部わかるが、さすがに放送ではかけられないだろう。

ところが、このリストは、1983年12月10日付けのものが最終版で、これ以後改訂されていない。つまり、番組が制作された時点でも、現在でも「放送禁止歌」は、過去のものであって、もはや実在しないということ。従って、フジのドキュメンタリー番組の中では、岡林信康「手紙」をフルコーラスかけている。これは1983年のリストにはないが、ひっかかっているのは曲中に「部落に生れた」という歌詞が入っているため。しかし、ディレクターが「この使い方で問題にされることはない」と判断したので放送された。つまり、「放送禁止歌」は、もはや「放送自粛歌」にすぎず、しかも公式に指定されているわけではないので、各制作者が勝手に判断して放送しないというだけのこと。

放送禁止歌」に指定されていた(といわれている)歌と、その歌詞が全部引用されているので、読者は歌詞のどこが問題になったのかをおおよそ推測できる。これは非常に貴重。禁止の根拠は明確でなく、「抗議が来そうなものはとりあえずやめておくことにしましょう」というレベルのもの。現に歌詞に「土方」が入っていることが理由で長く放送されていなかった「ヨイトマケの歌」が2012年の紅白歌合戦で放送されていたのだから、禁止(とされていた)の根拠は非常に恣意的。

最後の章で、森達也は「竹田の子守唄」(これも同和関係でリスト入り)の禁止の理由を、この歌ができた元になっている京都の竹田地区(ここも同和地区)に出かけて、関係者から事情を聞いて細かく調べている。原曲は「守り子歌」、つまり子守をしていた子供が歌っていた労働歌だが、この曲を広めたのは岡林信康で、歌詞はかなり改変されている。このプロセスが非常におもしろい。

岡林は、森達也の取材要請に応じていないので、インタビューはとれていないのだが、これをあきらめる理由とプロセスもちゃんとお話になっている。

放送禁止歌をネタにして、日本放送業界の事情を上手にあぶりだしている。要するに、「面倒なこと=抗議に関わりたくないので、抗議されそうなことはあらかじめ避ける」ことにしていて、そのことを誰も疑問に思っていないということ。デーブ・スペクターとの対談でアメリカの事情(アメリカは、放送するかしないかはあくまで制作者の個別の判断)が明らかにされているので、日本の「自主規制」がどういうものかもよくわかる。