八重の桜 20話

「八重の桜」20話、「開戦!鳥羽伏見」


慶喜はいったん大坂に撤退することを決めるが、官兵衛や権助風間杜夫)らが直接迫って都落ちを止めようとする。慶喜は、「薩摩を討つためだが、秘策なので詳細は話せない」というだけ。しかし修理(斎藤工)が「ここで騒げば長州の二の舞」と言うので、一同は沈黙。

会津では、照姫が娘達の遅参をとがめて、歌を詠ませる。八重の歌は「父兄のをしえたまひし筒弓に 会津心の弾や込めなん」というもの。「平清盛」での清盛のハチャメチャな「歌」に比べると、武士階級も700年以上たって相当に進歩しましたよという話。

大坂に退去した慶喜は、洋服を着て外国公使たちを引見。西郷は、このままではどうにもならないので、挑発して戦争を仕掛けることにする。挑発を仕掛けるのは江戸。勝海舟は、薩摩の挑発に乗らないように力説するが、失敗。報せが大坂に伝わると、兵らが騒ぎ出し、慶喜は引きずられて戦いを仕掛けることに。

1万5千で鳥羽と伏見の二方向から北進という作戦に、会津藩の重役は不安を隠せないが、戦争が始まると陣頭に立つのは会津。戦闘の場面は、5メートルほどの狭い道に竹矢来を敷いて、銃を構えている薩摩軍に対して、会津軍は大砲は1門持っているものの、1発撃っただけで後は槍で突撃。

京都に残っていた覚馬は、戦争を止めようと大坂に行こうとするが、薩摩兵にボコられて捕まってしまう。会津軍は薩摩軍に撃ちまくられ、林権助も撃たれてしまう。新選組が横からちょっと斬り込むがこれではどうにもならず、敗北。慶喜大坂城で「1万5千で負けるはずがない」とぶつぶつつぶやいているだけ。


鳥羽伏見の戦闘をどうするのかと思ったら、「平清盛」と同じで、両側が壁(家)になっている狭い道で遮蔽物と竹矢来を盾にして撃ってくる薩摩軍に、ひたすら突撃する会津軍というもの。登場する人数は20人くらいしかいないみたい。これならお金はかからない。新選組は、回り道して横から斬りまくっているが、薩摩軍はそのくらいの備えはしてたのでは?というより、実際には新選組も死傷者続出でほとんど活躍はしていなかったように思ったが。本格的な戦争 は6月後半以後のようなので、それまでお金のかかる場面は節約されるのかもしれない。