山陽鉄道物語

長船友則『山陽鉄道物語』JTBパブリッシング、2008


ちょっと調べたいことがあったので読んでみたが、かなり内容の濃い本で、通読するのに苦労した。

ここで言っている「山陽鉄道」は、現存する山陽電鉄ではなく、神戸から下関までの区間を走っていた現在の山陽本線が国有化される前の会社のこと。明治21年1888年)に会社設立。同じ年に神戸から姫路までの区間が開業し、その後順次西に延伸、下関(馬関)まで全通したのが明治34年(1901年)。国有化されて会社が解散されたのが、明治39年1906年)なので、18年間続いたことになる。

最初は、神戸までひかれていた国鉄線を九州(の手前の馬関)までつなぐのは、経済的、軍事的に当然の要請だからなぜ最初から国家事業でやらなかったのかと思っていたが、簡単にいえば明治20年前後の状況では、国にはそんな資金の余裕はなく、民間にやってもらえれば大助かりだったという話。

実際に読んでいくと、姫路やその西の龍野までは簡単に路線を引けているのだが、そこから岡山、さらに広島、下関までの路線を引くのは、相当の難事業だったとわかる。当然ながら、すべての路線を敷くための資金があった上で事業を始めるのではないので、岡山や広島のような規模の大きな都市に路線がつながる前は、資金繰りが簡単にはつかないのだ。そして大きな都市ではないところでは客も乗らず、さらに鉄道を迷惑視する沿線の反対運動があるので、線路を敷くのも大変。そして競争相手の航路の運賃は非常に安い。

この状態が変わっていく機会は、1894年の日清戦争と、1904年の日露戦争だったわけだが、日清戦争に広島延伸が間に合ったのは、かなり偶然のタイミングだったことがわかる。広島から宇品までの宇品線など、土地を収用してから工事には17日間しかかけずにあっという間に線路を敷いている。

路線のルート決定とか、延伸計画の進捗とか、いろいろな細かいことを新聞(芸備日日新聞。中国新聞のライバル社で、後に中国新聞に吸収された)からまめに拾ってきて書かれている。図版の豊富な本で、カラーページもけっこうある。著者は、アマチュアの鉄道史家だが、きちんとした仕事をされていて、勉強になることが多かった。