消された一家 北九州・連続監禁殺人事件

豊田正義『消された一家 北九州・連続監禁殺人事件』新潮社、2005


尼崎市死体遺棄事件は最近あまり続報がないが、こちらの事件のことがわかれば参考になるかなと思って読んでみたら、相当すごい話の連続で、おどろいた。この事件は裁判は終わっているので、何人殺されて、やったのは誰かということは新聞で知っていたのだが、本当にすごいのは死んだ人数ではなくて、殺人の過程のほう。

主犯の松永太が事件全体の構図を立てて、思い通りに関係者を操っていたのだが、実は松永は殺人に直接手は下していない。すべて、松永の内縁の妻、緒方純子や、結局後で殺されてしまった被害者たちにやらせていたのである。目的は、基本的には緒方家の財産を奪うこと。その目的が達成された後は、口封じ、隠蔽工作のために緒方家の人々は、純子と、1人だけ逃げて真相解明の端緒をつくった孫娘(文中では仮名。生存者は、松永と緒方純子以外は仮名にされている)以外、7人が殺された。

最初の2人は、殺人というよりは虐待の結果、放置されたまま結果的に死んだようだ。しかし残りの5人は、緒方純子や他の被害者が電気コードで首を締めたり、明らかに死ぬとわかる状態で放置されて死んでいる。緒方純子や被害者たちが殺人を命令されて実行した理由は、松永から、電気ショックをかけられたり、それまでの監禁や殺人に加担したことで脅されたりといったようなことで、完全に精神的に支配されていたため。

この電気ショックや、監禁のようすの描写は相当の迫力で、並のフィクションはこれにはまったく対抗できないレベル。逃げ出そうとした者は、罰としてさらに激しい虐待にさらされ、しだいに全員が逃げられない状態に追い込まれていく過程は、鬼気迫るもの。

しかも、死体の遺棄は証拠が残らないように徹底して行われていて、死体はかけらも残っていない。孫娘が逃げ出して(それも一度は失敗)、真相を話さなければ、また、緒方純子が変心して事件の過程を暴露しなければ、殺人が発覚することも、殺人の過程が明らかになることもなかったことになる。

この本は、裁判の傍聴記録、周辺の人々(緒方家や松永家の関係者からはインタビューはとれていない)の話、緒方純子への著者の接見記録などから書かれている。当然、緒方純子の証言を中心にして事実が再構成されているのだが、後の章で、松永の証言をもとにした事件像が描かれており、当然ながらそこでは松永は自分の責任をまったく認めていない。

組織の力などなくても、普通の人間が簡単に操られたり、服従させられて何でもやるという、「リアル・ミルグラム実験」の過程が圧倒的に読ませる。松永太の拘置所での様子や写真(けっこう好男子)で、この裁判の間も松永が異常な行動は何もしておらず、ごく普通に振舞っているというところが、この人物の奇怪さをさらに高めている。

日本犯罪史上に残る異常な事件だが、松永太個人でここまでできるのなら、同じような異常性格で意思と計画性のある人間は他にもいるだろうと思わせる。尼崎の事件が今後どうなるのかは知らないが、これもいずれは記録本が書かれるのだろう。出版されたら必ず読む。

なお、この本は一審判決が出た後の時点で書かれているので、松永、緒方には両方とも死刑判決が出ており、著者は緒方純子を死刑にすることには納得していない。その後、二審で松永のみ死刑、緒方は無期懲役となり、そのまま判決が確定したことは知られているとおり。