ブラタモリ 江戸の運河

ブラタモリ」 「江戸の運河」、2012.2.16

今週のブラタモリ江東区東大島から。住宅街だが、ここには小名木川という昔の運河が。今回の案内人は、江東区中川船番所資料館学芸員の久染健夫氏。これが江東区の歴史資料館らしい。この小名木川は家康以来の江戸の運河。もとは、行徳から塩を江戸に送るための運河だったとのこと。

小地図を見ると、小名木川をはじめ、運河は東西に直線になるようにひいてある。運河の番所のひとつが、資料館の名前のもとにある中川番所。関東水流図という古地図が持ち出されて、昔の川のようすがわかる。中川番所は関東一円の物流が江戸に流れ込む要所だったっという話。

次に一行は船に乗り込んで、小名木川を西へ。向こうに日本橋が見える。昔は小名木川の岸壁には大名が下屋敷を置き、物資の倉庫としていた。明治になってからも工場が林立し、工業地帯となっていく。昭和30年代になると地下水の組み上げで地盤沈下が激しくなったことで浸水が頻発し、現在の高い護岸ができた。いまでも、はしけで穀物を運んでそのまま吸い上げて加工する食品工場があり、大きなサイロが川沿いに設置されているのが見える。

その次の目的地は小名木川と他の運河の交差点。ここを対角線状に分断するように橋がかかっている。それからいまは埋め立てられてしまった運河、六間堀の跡をたずねて現地に向かう。六間堀という名前から幅は10メートルくらいだっただろうという。いまはほんの1.5mほどの路地。昭和23年頃まで六間堀はのこっていて、その写真がある。高い建物は何もない。住宅と住宅の間の狭い隙間に昔の堀の護岸が残るばかり。地元のおばあさんが出てきて、昔の記憶を話している。水泳をしている人もいたという。戦災で工場はみな焼けてしまい、そのがれきの埋め立て場所として六間堀が使われたという。

さらに別の家に入れてもらい、部屋の窓から隣の家との狭い隙間を見ると、そこにも護岸の跡。CGを使って、昔の運河が埋め立てられていまの路地になるまでのようすを映している。ムダなところにお金を浸かっているなー。今回は前編で、来週後編をやるとのこと。