がんから始まる

岸本葉子『がんから始まる』、文春文庫、2006

岸本葉子のエッセイでおもしろいものに初めてあたった。これは文庫版なので2006年発行だが、もとは晶文社から2003年に出ている。

岸本が2001年10月に大腸ガンの手術をしたときの前後のてんまつについて書かれている。ある程度進行したガンで、手術した医者が説明時に「治癒率は30%」と言った後ですぐに「いや50%としましょう」と言い直したことになっている。「半分以上の確率で治りませんよ」と言われた患者もかなわないと思うが、医者ももうちょっと考えてから言えばいいのに。もっとも巻末に解説を書いている別の医者(著者が最初にガンの告知を受けた先生)は、「それほどガンの治療は不確実なものなのです」と言っているので、その程度にあてにならないものなのだろう。

岸本は最初はポリープですと言われたときから、まめに病気のことを調べ、専門医に相談に行き、ガンの知識と治る可能性を把握することで、自分を立て直そうとしている。岸本が知的で几帳面な人だからこういう態度をとるのだろうが、これも善し悪しで、自分では何も考えずに医者の言うことに従うほうが余計に動揺しなくていいのかもしれない。治る確率が非常に低い場合には、岸本の方法はかなりダメージが大きそうだし。とはいえ、岸本の性格ではいい加減にすますことはできないのだろうから(なにしろ自分の命がかかっているのだし)、他の選択肢はなかったのだろう。

岸本が、仕事の始末をつけ、父親に病気のことを知らせ、身辺のことを手際よく片付けて入院するところはさすが。自分が病気で入院したときは、何も片付けられないままでいきなり入院するはめになり、連絡は携帯電話で適当にやり、必要なことは入院後に勝手に家に帰ってちょこちょこすませていた。大した病気ではなかったのでそれで済んだが、大病だとそうはいかない。一人暮らしの人は、自分がちゃんとしていないと、いざというときに困ったことになるのだ。

岸本は毎日日記をつけているのだろうか。もとの本が出たのは手術から2年ほどたってからだが、細かいところまで事実が再現されている。記憶だけではたぶんこうはいかないだろう。がんは手術がいちおううまくいって退院してからも、まめに検査を受け、健康管理をきちんとしなければいけないので後々もたいへんだ。文庫版のあとがきに相当する部分は、本が出てからさらに2年経って書かれているが、ガンは手術の後も手間がかかることがよくわかる。岸本はいろいろ努力していて、精神的に平衡を保っているが、ストレスでめげてしまう人も多いだろう。

ことがことなので、文章にムダなところがなく、適度の緊張感のある文章で、冷静に書かれている。ある意味、患者のお手本のような本。この点は解説を書いた医者もほめている。この手術の後、岸本は10年間生きているので、いちおう「治癒」ということになるのだろうが、これも人事を尽くした結果だろう。自分が大病になったときにはまた読むことになりそうだ。