天才 勝新太郎

春日太一『天才 勝新太郎』、文春新書、2010

これも図書館に注文して順番待ちをしていたのだが、けっこう回ってくるまで時間がかかった。それなりに人気のある本なのだ。「いまさらなぜ勝新太郎?」とも思うのだが、勝新太郎が亡くなったのが1997年。一緒に仕事をしていたスタッフはそれなりのお年になっている人が多いので、直に話を聞こうと思ったらいまが最後のチャンスかもしれないのである。

それにいまならまだ勝新が生きていた頃のことを知っている読者がたくさんいる。あと10年か20年経てば、勝新太郎を映画やテレビの中でしか知ることのできない人がほとんどになっているかもしれないのだ。

この本だが、勝新太郎の評伝でありながら、徹底的に「映画人勝新太郎」の事跡に話を絞っている。もちろん、出生後の子供時代とか、息子への愛情や妻との関係、大麻コカイン密輸事件といったようなことも必要な範囲で言及されているが、あくまで勝新太郎と映画との関わりに関係ある限りでしか取り上げられていない。これがこの本の目の付け所の良さだと思う。勝新太郎の自伝を読んで思うことだが、あれだけ破天荒な人間をまるごと取り上げていたら、とても新書版の紙数では書ききれないだろう。勝新太郎のめちゃくちゃさが、焦点を映画に絞ることでよりはっきりしたと思う。

内容はとにかく、勝新太郎がどんな風に天才だったかということが、これでもかというエピソードで示される。勝新太郎は、台本通り、監督の指示通りにうまく演技するような役者ではなく、自分の納得のいかない撮影は認めないような人だったから、とにかく何をやっても衝突、スケジュール無視の連続である。相手が大監督だろうとまったく妥協はなかったから、黒澤明との「影武者」でも途中で降りざるを得ないことになった(このエピソードは冒頭でも出てくる)。結果としては「影武者」は黒澤明の映画としては明らかに駄作だから、この判断は正しかったことになる。しかしこんなことをどの作品でもやっていたら、それはたいへんだろう。

とにかく、勝新太郎の才能がまわりの人々や映画の置かれた環境とどれだけぶつかっていたかの記録みたいな本。これを読むと、勝新太郎の作品全部、特に映画が斜陽になってから作られたテレビシリーズや最後の「座頭市」などを猛烈に観たくなってくること必至である。

いままでテレビ版「座頭市」「新座頭市」「痛快 河内山宗俊」あたりは時代劇専門チャンネルでやっても見逃していたので、非常に後悔する。まあ、フジテレビが権利を持っているからまた再放送してくれることを期待。著者は77年生まれの若い人だが、京都撮影所に入り込んで実際の時代劇撮影の現場を知っている人であり、観客側からではなく、製作スタッフの側から見た目で時代劇を書ける人。とにかくあっという間に読めた。