ゲド 戦いのはじまり

「ゲド 戦いのはじまり」、ショーン・アシュモアクリスティン・クルックほか出演、ロバート・リーバーマン監督、アメリカ、2004

スーパー!ドラマTVでかかっていたので、見ました。SCI FIチャンネル制作のミニシリーズ。吹き替え版のほうである。基本的に、「影との戦い」と「こわれた腕環」のストーリーを足して二で割ったような話。しかしこれはひどいなー。原作の味はすっかり消え失せていて、少年の冒険物語みたいなことになっている。しかも、二つの話をむりやりくっつけているので、いろんなところで無理がありまくり。

吹き替えで見たのでオリジナルでどういう台詞回しかがわからないのだが、部分的に台詞にもおかしいところがあるような。「ハイタカ」という呼び名で呼ばれていなければならないところで、真の名「ゲド」を使っている。それからロークの学院は男子のみのはずだが、女の子がいっぱいいるのはどういうことか。この種の勝手な書き換えが多すぎ。そして最悪なのは、二つのストーリーを同時並行で動かしている脚本である。原作では、「こわれた腕環」に登場する時のゲドは、すでに一人前の魔法使いになっていて、そのことに意味がある。しかし、この話だと、ゲドは成長途上で、腕環の話がきちんとかみあっていない。

役者でいいのは、オジオン役のダニー・クローバーだけである。あと、テナー役のクリスティン・クルックは可愛い。しかしテナーの役にあてる女優とは思えない。

これは原作者が怒っているだろうなあと思ったら、U.K.ル=グウィンがこのドラマに怒っている文章を見つけた。
http://www.slate.com/id/2111107/
「漂白されたアースシー」というタイトルから、ル=グウィンの憤懣が伝わってくるが、中身もけちょんけちょんである。例のジブリ作「ゲド戦記」へのル=グウィンのコメントも聞いているが(わたし自身はこっちは見てない)、自作がこんな風にされると作家はショックだろう。特にル=グウィンはこういう扱いには慣れていなさそう。やはり、ル=グウィンの話は映像化が難しいと感じる。登場人物の内面の動きが話の中心で、「指輪物語」のような絵になる場面が少ない(だから、無理にこういう話にしてしまったのだろうけど)。それにしても、プロデューサーは、ハリポタか何かと間違えているのではないだろうか。