翔ぶが如く

翔ぶが如く」、西田敏行鹿賀丈史ほか出演、小山内美江子脚本、NHK大河ドラマ、1990

時代劇専門チャンネルの連続再放送でやっと全部見られた。しかし週5回見るのはきつい。途中何回かは飛ばしてしまった。このドラマ、表題作の小説「翔ぶが如く」は、征韓論から西南戦争の時期を扱うので、ドラマ全体の4割くらいにしかなっておらず、前半6割は脚本の小山内美江子が、他の司馬作品をもとに書き下ろしているのである。脚本家は苦労しただろうが、かなりよくやっていると思う。いずれにせよ、NHK大河ドラマの幕末ものの中では名作であるという事実は揺るがない。まあ幕末ものは、「勝海舟」「花神」とほかにも名作はあるのだが。

西田敏行鹿賀丈史の両雄の迫力が圧倒的。この二人は何をやっても絵になる。特に維新成立後の西郷と大久保は、本物が飛び出してきたのではないかという気にすらさせる。西南戦争での城山までの西郷軍の敗走の西郷その人の大きさはほとんど感動的である。

脇は、西郷従道緒形直人、西郷の二度目の正妻いとの田中裕子がうまい。配役は薩摩側の人々が手厚く、島津久光高橋英樹)のほか、大山綱良蟹江敬三)、村田新八益岡徹)、有馬新七内藤剛志)、海江田信義佐野史郎)あたりの人々が隙のない芝居をしている。こういうところをきちんとしているから、昔の大河ドラマはいま見てもよくできているのである。

逆に、長州側や明治維新後に太政官に登用された人々は、どちらかといえば軽い配役で、桂小五郎=木戸の田中健とか、伊藤博文小倉久寛)、山縣有朋(新井康弘)、大隈重信石丸謙二郎)あたりは意図的に存在感の厚い人をあてていないように思う。あくまで薩摩のドラマなので、他藩、特に明治政府から出世した人は意図的に軽くしているのだろう。ドラマの中でも伊藤博文はほとんど大久保の子分扱いである。

逆に存在感の強い役は岩倉具視小林稔侍)。いつもは遊びほうけているお公家さんだが、ここぞと言うときには断固たる態度で西郷、大久保も黙らせる。いままでの岩倉役では一番だろう。

これを見てしまうと、やっぱり「篤姫」とか、あまりにお話が軽すぎてこんなドラマがなんでそんなに受けるのかよくわからない。脚本そのものが軽いし、宮崎あおいに合わせて、ほかの配役が意図的に軽くされている(例外は島津斉彬高橋英樹くらい)。宮崎あおいがいくらがんばっても、西田敏行鹿賀丈史には遠く及ばないのだから、ほかの人々はちょっと見ているのがつらい。これから大河ドラマがこの路線で続くのだったら、途中でやめちゃうことが増えそうだ。来年は妻夫木くんだからなあ。見る前から、かなり気力が失せている。