春の波濤

春の波濤」、松坂慶子中村雅俊風間杜夫檀ふみほか出演、NHK大河ドラマ、1985

これは本放送時に見ていなかったので(このころは大河ドラマはもう見なくなっていた)、今回のホームドラマチャンネルの放送はありがたかった。ここはかたくなに1話週1ペースを守るので、本放送っぽくてよい(というか、週5ペースで放送されると疲れるのだ)。権利訴訟の関係で、再放送もビデオ化もされていなかった作品なので、見られたことはすなおにうれしい。

全部見ての感想としては、思ったよりは結構おもしろかった。このドラマを見るまで川上音二郎についてはほとんど知らなかったし、日本近代演劇のあけぼのについてちょっと勉強になった。しかし、このドラマが視聴率的に低迷したというのは納得。基本的に脚本の時点で失敗している(脚本は、中島丈博なのだが・・・)。まず川上貞奴(松坂)、川上音二郎(中村)、福沢桃介(風間)、福沢房子(檀)の四人主役の群像劇なのだが、おかげで話の焦点がわかりづらい。最初の部分では四人が取り上げられ、川上一座の欧米興行のところでは、川上夫妻だけにスポットが当たり、福沢夫妻はほっておかれる。川上一座が帰国してからは、福沢夫妻にもまたスポットが当たるのだが、途中で音二郎が死んだり、貞奴のライバル=松井須磨子名取裕子)が出てきたり、とにかく話がややこしい。

中心はいちおう川上夫妻の演劇活動なのだが、その話に他の役者が脇役として関わるというよりはいろんな人のエピソード(民権運動、藩閥政府、演劇人、貞奴のもと同僚の芸者たち)が同時並行で進むので、何が話の骨なのかがよくわからなくなる。視聴者の方も、福沢諭吉伊藤博文くらいは知っていても、ほかの役柄は知らない人ばかりだったろうし、途中でよくわからなくなって投げてしまったのではないか。とりわけ、音二郎が死んだ後は、話の筋がよく見えなかったように思う。

さらに福沢房子のキャラクターは最悪である。檀ふみファンのわたしでさえそう思うのだから、まちがいない。とにかく、夫と貞奴の関係に対する嫉妬で一生さいなまれて終わるという役。原作の杉本苑子「冥府回廊」にはそのあたりがちゃんと書かれているのかも知れないが、このドラマだけ見ている人にとっては、単なるヤな女である。しかもひたすら暗い。見ているだけで気が滅入る。

川上音二郎も、途中までは自己顕示欲のかたまりみたいな「単なる変な人」で、何がしたいのかよくわからない。中盤になって演劇革新運動を本気でやりだすあたりからは、だんだんわかりはじめてきて、最後にはえらい人だったなあと思えるようになるのだが、それがわかるようになる前にほとんどの人は見なくなっていたと思う。

いちおういいことも書いておくと、音二郎の変人ではあるがたいへんなエネルギーがあってこそ、演劇革新が成し遂げられたことがよくわかる。歌舞伎システム(興行主や茶屋、役者、馴染み客らの関係)を近代演劇システムに変えるためには、そのくらいの強烈で、強引な人物でないとやっていけなかっただろう。音二郎が晩年、「民衆の敵」を演じるあたりでは、音二郎の演劇人としての突出した能力がわかるようになる。まあ、それに比べるとちょっと貞奴のキャラクターが弱いところがまた話の弱点にもなっているのだが。

松井須磨子の「カチューシャの唄」が聴けたことも収穫。もっとも、名取裕子の歌は下手である。佐藤勝の音楽は個人的に好きなので、そこはとてもよかった。

話は関東大震災の付近で終わり、福沢桃介と貞奴の晩年の関係は出てこない。音二郎以外、桃介、貞奴、房子の三人はいずれも長命な人だったし、ドラマにするような複雑な展開はないだろうからしかたがないが、ほんとうはそこを書いてこそ桃介と房子を出す意味があったのではないだろうか。