歴史認識を乗り越える

小倉紀蔵歴史認識を乗り越える』、講談社現代新書、2005

東アジアの歴史認識問題を扱うという点で、古田博司「東アジア反日トライアングル」と同じテーマを扱う。もっとも結論はかなり違うが。著者の結論は簡単にいえば、日本が、特に韓国との関係で「謝罪」と「共同で新しい課題に取り組む」作業を同時に進めていくべきだというもの。著者は、日本には東アジアに対して全く反対の立場に立つ「左右」の立場はあっても、「センター」の立場がなく、それが日本の立場そのものを混乱させ、弱めているという。日本が「センター」の立場を確立すること=自由と民主主義という価値観に立って、東アジアとの和解、協力を推進することが、日本の立場を将来的に強化していく土台になるとする。

東アジアにおける「主体」のあり方を朱子学の立場から議論する章は、非常に興味深かった。日本の近代思想に朱子学のタネが直接入り込んでいるという著者の主張の妥当性は、ちょっとわたしには判断しにくいが、おもしろい視点だと思う。また東アジア圏では、主体化が序列化と組み合わされて進行すること、そのため正邪による序列がすべてに覆いかぶさってきて、協調を阻害しているという視点は納得させられる。

著者の立場は理解できるが、最近の竹島海洋調査問題をめぐる騒動を見ていると、著者の主張する日韓の和解という路線すら相当の困難をともなうものだと感じさせられる。特に「日本が譲歩すれば、韓国も」というわけにはいかないだけに、ちょっとした障害でいつでも挫折させられる細い道に著者は期待をかけているという感じがする。基本的な体制や自由のない中国についてはなおさら。もっとも著者は細い道であってもそれを切り開くしかないと考えているのだろうが。