三国演義 諸葛祭風

三国演義」第38集 「諸葛祭風」

前回の終わりに、真冬に東南の風は吹かないと気づいていきなり血を吐いて倒れる周瑜。気づくのが遅いよ・・・。「わたしによい処方が」と言って、周瑜の寝室を訪ねる諸葛亮。ほとんどイヤミですね。といっても、周瑜も東南の風が吹かないとどうしようもないので、「臥龍先生」と孔明の裾にすがって大喜び。

で、諸葛亮が七星壇を築かせていったい何をするのかと思ったら、ほとんど剣舞である。まあ古代中華の祭といってもよくわからないわけだから、こういうことか。やや肩すかしっぽい。

江東の軍に火計の用意をさせる周瑜のところに、たちまち巻き起こる東南の風。周瑜は、あの妖術使い、やっぱり生かしておいてはろくなことが・・・と諸葛亮に討っ手を向ける。もちろん、そのころには諸葛亮は迎えに来させた趙雲の軍船でさくっと逃げている。ここの場面も、趙雲の台詞、趙雲が矢一本で、呉の船の帆を射落として、白帆をあげて船をすべらせるところまで、きれいに描かれていて良。

あとは周瑜が各将に指令を出し、孔明も軍令を出す。おいてきぼりになるのは関羽。怒る関羽に一札を入れさせて策を授けるところは演義のとおり。しかし、説明を求める劉備に「ここで曹操が死ねば中原は乱れ、孫権がそれにつけ込むから、曹操が死んでは困ります」って、それはないんじゃないの?演義にもそんな台詞はなかったはずだが・・・。